息子達が夏の甲子園100回記念大会へ出場することを祈っております。

息子達が夏の甲子園100回記念大会へ出場することを祈っております。

春から中学生1年生と小学生5年生になる2人の息子が野球を始めて6年が経過しました。野球というスポーツを通じて、逞しく成長してくれることを願っております。かなり高いハードルですが、夏の甲子園100回記念大会へ、息子達が連れて行ってくれることを夢みております。

高校2年と中学3年の2人の息子が
硬式野球を始めて10年が経過しました。
野球というスポーツを通じて、逞しく成長してくれることを願っております。
かなり高いハードルですが、夏の甲子園100回記念大会へ
息子達が連れて行ってくれることを夢みております。

好きな言葉

「第一歩」
十里の旅の第一歩
百里の旅の第一歩

同じ一歩でも覚悟がちがう

三笠山に登る第一歩
富士山に登る第一歩

同じ一歩でも覚悟がちがう

どこまで行くつもりか
どこまで登るつもりか

「目標がその日その日を支配する」

明治時代の詩人・教育者の後藤静香氏の著書のなかの一句。

「志あるところに方法あり」
と言ったところでしょうか。

また、野球少年少女の親子さん達のコミュニュケーションの場として
「ウチの子、野球やってます。 」 グルっぽ版の管理人をしております。
お子さんが野球をされている方、ルールなどの難しい話から
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◆全国高校野球 地方大会<17日>
 第96回全国高校野球選手権(8月9日開幕、甲子園球場)の地方大会は17日、全国で31大会が行われ、神奈川では3季連続の甲子園出場を目指す横浜が、浅間の2本塁打などで厚木西を7回コールドで下して初戦を突破した。全国優勝の経験がある帝京(東東京)、早稲田実(西東京)、湘南、法政二(ともに神奈川)、習志野(千葉)も勝ち上がった。
 プロからも注目される横浜の1番、浅間が初戦からいきなり本領を発揮した。一回に左打席から左翼ポールにぶつける先頭打者本塁打を放つと、3-0の二回にも2死から右越えにソロ。「初戦からこんなに打てるとは思わなかった。逆方向への本塁打は高校に入ってから初めて。2本目は今までに味わったことのない(良い)感触だった」と目を丸くした。
 昨夏の神奈川大会準々決勝で、桐光学園の松井裕樹(現楽天)から決勝の逆転2ランを放ち脚光を浴びた。今春のセンバツから1番に定着。「四球を選ぶことも大事だが、一振りの長打で試合を決める攻撃的な1番になりたい」と独自のスタイルを目指している。
 筋力強化のため、ひたすら腕立て伏せを繰り返した。四回の3打席目は、1死二塁で右翼フェンスの最上段にぶつける適時二塁打。もう少しで3打席連続本塁打だったという猛打で成果を出した。
 この日の2本塁打で高校通算本塁打が30本に到達した。伝統的に俊足巧打の選手が1番を打つことが多い横浜では異色のタイプ。渡辺監督は「大会前の練習試合では良い当たりが出ずに苦しんでいたが、不動の1番になってきた。横浜高校の歴史でもトップクラスに入るのではないか」と成長ぶりに舌を巻いた。 
高校野球春季県大会の決勝が四日、横浜市の保土ケ谷スタジアムであった。昨夏と今春の甲子園を経験した横浜が5-3で向上に貫禄勝ちし、5年ぶりに春季県大会を制した。

 試合が動いたのは四回。横浜の蔵谷耕平捕手(三年)が甘く入った直球を左前に打ち返し、先制した。五回には3連続安打と相手失策で3得点し、八回に浅間大基選手(三年)の適時二塁打でダメ押しの1点を加えた。

 向上は高橋裕也投手(三年)が緩急を使って好投。六回には安達鴻希捕手(三年)が適時三塁打を放つなどし、八回に1点差まで追い上げたが、横浜の堅い守備に阻まれた。

 県大会上位4校が出場する春季関東地区大会は十七日に県内で開幕する。横浜の松崎健造主将(三年)は「各県を勝ち抜いたチームとの戦いなので、大胆に攻めたい」と意気込んだ。 (杉原麻央)

 ▽決勝

向上

000002010|3

00013001x|5

横浜

(向)高橋-安達

(横)春日井、小田、日暮、伊藤-蔵谷、高井



夏の甲子園は前橋育英の初出場初優勝で幕を閉じた。横浜は2回戦で丸亀に7―1で勝利したものの、ベスト8をかけた3回戦はその前橋育英に1―7で完敗。横浜はレギュラー9人中8人が2年生。唯一の上級生だった主将の長谷川寛之をはじめとした3年生には、お疲れさまと言いたい。

「2勝できれば御の字」と思っていたが、やはり1勝止まりに終わった。春から夏にかけて毎年50試合ほどの練習試合を行っている。例年は5敗程度のところ、このチームは10敗以上。神奈川大会準々決勝で奪三振王の松井裕樹君(3年)擁する桐光学園を撃破したことは褒めてあげたいが、本当の実力はまだなかったと言わざるを得ない。

 甲子園出場の立役者でもあるエースの伊藤将司(2年)が初戦前に左肩の違和感を訴える中、治療しながら臨んだ丸亀戦の14奪三振は出来過ぎ。前橋育英戦は6回5失点で降板した。球威はもちろん、左打者への内角の精度など、全てにおいてワンランクレベルを上げないと、甲子園では通用しないことがよく分かったはずだ。

 前橋育英の2年生エース高橋光成君は好投手。この回は直球中心、ある回はスライダーを多投するなど、平均的な配球にならないように実によく考えて投球していた。これは伊藤も見習って欲しい。捕手のリード通りに投げるだけではダメ。お互いに考えないバッテリーに進歩はないのだ。

 浜風対策も実を結ばなかった。甲子園は両翼のポール脇のスタンドが切れている。この切れ目がライトからレフトへ向かっての風の通り道になるのだ。私は外野手にスコアボード上の旗を見て打球を判断する4パターンを「小倉メモ」に書いてレクチャーした。

(1)風速1、2メートルは左翼方向への打球が3、4メートル伸びる。

(2)旗が垂れたり伸びたりする風速3、4メートルは打球が5~7メートル伸びる。

(3)旗がピンと横に張る風速5メートルは打球が10メートル伸びる。

(4)旗がバタバタと音がするほどはためく風速10メートル以上は打球も10メートル以上伸びる。

 特に(3)(4)の強風の日は要注意。追い風のレフト方向は他の球場よりさらに5メートル以上も打球が伸びるから左翼手はたまらないだろう。逆風となるライトへの飛球はストーンと急降下する。外野手は頭に叩き込んでおかないといけない。前橋育英戦でライトの根本耕太(2年)の前に落ちたポテンヒットがあった。根本は一度下がってから前進し、追い付けなかった。急降下する打球についていけなかったのも残念だった。

<負けて泣いて宿舎でワイワイ>

 初戦で本塁打を放った4番の高浜祐仁、5安打を放った3番の浅間大基がこの試合はともに無安打。初戦の活躍と、2人は松井君から本塁打していることで、マスコミに取り上げてもらったのはありがたいが、まだまだ実力不足だ。

 高浜は打つ時に開きが早いクセがなかなか直らない。他にも大きな欠点がある。これらを克服しない限り、目標とするプロなんて夢のまた夢だ。

 前橋育英の1番・中堅の工藤陽平君は素晴らしい選手で手痛い一発を食らった。同じ2年生で左打者の外野手として、現段階では浅間より上だろう。

 ただ、評価できるのは1番・三塁を任せた川口凌(2年)。高浜、浅間同様、1年夏から公式戦に出場している。苦手だった外角球を克服し、桐光戦で初回に松井君から二塁打するなど、県大会から終始安定していた。2回戦、3回戦ともに1安打ずつと派手さはないものの、内容が良く、守備面も含めて一番成長した。

 このチームは「打倒松井」をエネルギーにして松井君に成長させてもらった感はある。が、「強い」と勘違いしてもらっては困る。秋の大会までにやることは山ほどある。

 それにしても、負けて泣いていた選手が、宿舎に戻った途端にケロッとしてワイワイ騒いでいる。私はいつも「敗戦を引きずれ」と選手たちに言う。一晩くらいはお通夜のようになって敗因を考えて欲しいと思う。これも今の選手の気質なのだろう。とてもついていけない。

98年春夏連覇 誰よりも長い夏を過ごした記憶


暑い、暑い夏の戦いも残りあとわずかとなった。各地での予選から、長きに渡り注目を浴びてきた夏の高校野球。今年も起こったさまざまなドラマに、興味を惹かれた方も多いことだろう。

 シーズンの佳境を迎えるプロ野球の選手たちにとっても、高校野球の動向は気になるニュースのひとつだ。一、二軍に限らず、球場の食堂等では高校野球が流され、皆それぞれ地元や出身校の試合の結果を気に掛ける。
 そんな中、「母校の活躍はすごく刺激的だよ」と話してくれたのが、横浜DeNAの後藤武敏だ。後藤といえば、1998年、あの松坂大輔率いる横浜高校の3番として春夏連覇を経験した、“誰よりも長い夏”を過ごした球児のひとりである。

「自分が高校生の時は、半端じゃないプレッシャーがあった。注目のされ方がちょっと普通じゃなかったし、勝たないといけないというプレッシャーもあったからね」

 甲子園という夏の夢舞台は、時としてプロ野球を上回る注目度とファンの“熱”を呼ぶ。当時の横浜高校はまさにそうだった。怪物・松坂大輔を擁し、87年のPL学園以来となる春夏連覇を目指すチームは、社会現象ともいえるほどのブームを巻き起こした。

あのとき胸にあった“プライド”とは別の思い

 当時、後藤が指導をあおいだのは渡辺元智監督。渡辺監督は、いまも横浜で監督業を務めている名将だ。全国の注目を集めたあの夏――。後藤は、“甘え”が許されない環境で野球をプレーしていたと当時を振り返る。

「(渡辺)監督は、天狗になることを絶対に許さない人だった。それが松坂であってもだよ。絶対に特別扱いしないし、『誰ならいい』っていうのは一切なかった。実は一度、松坂がふてくされたことがあったんだけど、そのとき監督は『お前はもう外れろ。お前なんかいなくても勝てる』って突き放したんだよね。そこから全く投げさせなくて、松坂から謝るまで絶対に許さなかった。どの選手に対してもそうだったね」

 渡辺監督のもと、必死に、ひたむきに白球を追い続けた。連覇を成し遂げた当時、胸にあったのは“王者のプライド”ではなく、まったく別の思いだったという。

「春夏連覇するって言う目標があったけど、当時、監督からは


『一からのやり直し』だと口を酸っぱくして言われたんだ。春が終わったあと、『今頂上にいるけど、次の山に登るには頂上からはいけない。一度山を下りて、また下から登らないと頂上へはいけない。むしろ、下山する時の方が気をつけないといけないんだ。だから気を引き締めていけ。お前らはいま、ただ山頂についただけなんだから』って。


当時は、外からみたら格好つけているように見えただろうし、スター集団扱いもされたけど、この言葉のおかけで、そんな風に思うことはなかった。本当に一からという気持ちでプレーしていたよ。周りの人から思われているのとは、まったく逆だったんじゃないかな」

 当時は「めちゃくちゃ真面目だった」と笑って振り返る後藤。栄光を勝ち取ったあの夏は、誰よりも謙虚に、そしてひたむきに過ごした夏だった。

あのときがあったから――高校野球で得たもの

 今年も母校・横浜高校は、甲子園に出場。神奈川県予選では、この夏もっとも注目を集めていただろう、松井裕樹率いる桐光学園高校を下した。後藤も、後輩たちの戦いを観に球場へと足を運んだという。

「ゴジ(小池正晃のニックネーム)と一緒に見に行ったよ。俺たちが見に行った試合の、その次の対戦がちょうど松井くんの試合だったんだよね。やっぱり松井君の試合からチーム全体が変わったと思う。もともと今年の横浜高校は下馬評がすごく低かったから、1つ1つ勝つことでモチベーションも上がってきている感じがしたね」

 大本命の桐光を破った勢いそのままに夏の切符を手に入れた横浜高校は、本戦では優勝候補にも挙げられた。結果、“あの夏”以来の夏制覇とはならなかったが、ベスト16へと進出。『名門』の名をあらためて全国に轟かせた夏だった。冒頭で「すごく刺激的」と語った後藤も、あの夏の思いが蘇ったことだろう。
 最後に、こう語ってくれた。

「あの時の経験があるから、今の自分ができていると思う。技術はもちろん、人間形成もさせてもらったかな」

 人生で最大三度しか挑戦することができない、夏の甲子園。今年の大会を沸かせた選手たちも、短いけれど、熱く濃厚だった夏を、懐かしく思う日がくるだろう。いつかこの夏を思い出し、感じるものはきっと良き思い出に違いない。
 今年も夏が終わる。多くの人々の心に響く感動を残し、甲子園物語は続いていく。次の夏が、早くも楽しみでならない。


島根県川本町の川本郵便局に勤める福岡克磨さん(41)=邑南町=が、8日開幕する第95回全国高校野球選手権大会の審判員として甲子園に立つ。矢上高(同町)硬式野球部の初代主戦が、25年越しの夢をかなえた。

 県高野連が派遣を決めた。県内審判員の甲子園出場は春夏を通じて3年ぶり11人目。

 福岡さんは小学生から野球を始めたが、高校は軟式野球部しかなかった同校へ進んだ。他校への進学も考えたが「自分のレベルでは投げさせてはもらえないと思った」と振り返る。

 2年生だった1989年、町民の働き掛けで硬式野球部が生まれ、甲子園への道が開けた。硬球では5カ月しか練習できなかったが、同年夏の島根大会では初戦で初勝利を挙げた。「最後の打者を打ち取った時は、感無量だった。もううれしくてうれしくて」と目を細める。

 卒業後は郵便局へ就職。92年に転勤で地元へ戻り、母校の練習を手伝うようになった。間もなく審判への誘いを受け、県高野連に登録して93年から再び高校野球の舞台へ。「選手時代は5カ月しか関われなかったので、ずっと夢見ていた高校野球の世界にもっといたかった」と振り返る。

 ことしの同選手権島根大会の決勝でも一塁塁審を務めるなど、20年に及ぶ審判のキャリアと、正確なジャッジが評価された。

【中国新聞】

大阪市で5日行われた第95回全国高校野球 選手権記念大会の組み合わせ抽選会で、横浜の県外出身選手4人は、同様に甲子園出場を果たした中学時代のシニアチームの同級生と再会した。地元を選んだ選手もいれば、県外へ出た選手もいる。初戦で対戦する組み合わせはなかったが、お互いに「成長した自分を見せたい」と闘志を燃やしている。


 主将の長谷川寛之左翼手(3年)は、東京の江戸川中央シニアで修徳(東東京)の小林滉右翼手(3年)とチームメートだった。横浜が甲子園進出を決めた後、メールで連絡を取り合った。小林選手は「長谷川は当時、1番打者でチームの中心だった。神奈川大会の決勝はテレビで見たが、プレーに力強さが増していた。僕も負けられない」と話す。


 控えの中島侑紀投手(3年)は三重県出身。松阪リトルシニア(同県松阪市)で一緒だった三重の一塁手・島田拓弥選手(3年)は親友。ともに投手だったシニア時代は「右の島田、左の中島」と呼ばれ、ライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)してきた。


 中島選手は憧れていた横浜を、島田選手は地元の高校を選んだ。それでも中島選手が正月に帰省した際は会って近況を語り合う。会うたびにお互い体つきがたくましくなり、高度な野球理論も身につけていた。島田選手は「神奈川の野球のレベルの高さを感じた。ともに初めてベンチ入りできてうれしい」と笑顔を見せる。


 主砲の高濱祐仁遊撃手(2年)と、松崎健造二塁手(2年)は、福岡県飯塚市の飯塚ライジングスターボーイズ出身。昨年の甲子園で春夏連覇を達成した大阪桐蔭の控え・福島孝輔投手(2年)とはシニアで一緒に過ごし全国大会で優勝した。


 福島選手は「高濱と松崎はチームの主力。悔しいけど、2人の活躍が励みになる。もっと野球がうまくなりたい」と力を込めた。松崎選手は「神奈川大会優勝を決めた時、真っ先に連絡をくれたのが福島。野球を通じた関係は一生ものと思う。甲子園で良いプレーを見せたい」と意気込んだ。


引用:毎日新聞 地方版

8日に夏の甲子園が始まる。高校球児のスキルアップを支えるピッチングマシンは、技術革新が目覚ましい。好投手のボールを再現するため、人工知能を搭載したり、空気圧でボールを放ったりするものも登場。野球離れが進む中でも需要は堅調で、中小メーカーの新規参入も相次いでいる。


春8回夏17回の甲子園出場を誇る慶応高校野球部(神奈川)は今年、人工知能を初めて搭載した「Pitch18」をモニター導入した。金沢大と工作機械メーカー「西野製作所」(金沢市)が共同開発した。従来は球速や球種の設定で細かい調整が必要だったが、事前に100通り以上の球筋を記憶でき、パネル操作で投げられる。


 今夏は神奈川大会の準々決勝で敗れたが、上田誠監督(55)は「効果は実感した」という。ただし、購入すれば価格は600万円で、通常のマシンの8~10倍。故障の修理に時間がかかるのも難点という。

 大手メーカー「ミズノ」(大阪市)によると、バッティングセンターはバネによるアーム式が多いが、高校球界は車輪の回転でボールを放つホイール式が主流。ここ数年、打者の手元で変化するカットボールやツーシームを操る投手が増え、ホイールを三つに増やして球の回転数や回転軸を細かく調整できるタイプが売れ筋という。


 新技術を売りに新規参入するメーカーは少なくない。福岡県の製造加工業「共和技研」は2008年、空気圧でボールを飛ばすマシンを開発した。球速は170キロまで調節できてボールも傷まないといい、高校・大学などに約60台を売った。

 高校球界ではミズノやSSKなど大手メーカーのマシンが大半を占めるが、田中完二社長(70)は「性能は大手に負けない自信がある」と意気込む。

 スポーツジャーナリストの二宮清純さんは「高校生も変化球が多彩になり、実戦に近い球を求めるニーズがマシンの技術革新につながっている。目が慣れる利点はあるが、リズムや間の取り方は実戦でなければ習得できず、あくまでもマシンは練習の補助と考えるべきだ」と話している。


引用:毎日新聞


それにしても高額ですね。

2年生が8人のチーム構成


横浜スタジアムの一塁側スタンドに陣取る仲間たちに届け。平塚学園を3対0で撃破し、2年ぶり15度目となる夏の甲子園出場を決めたばかりの横浜高校のキャプテン、長谷川寛之外野手が場内インタビューで熱い思いをこめながら絶叫する。

「あそこにいる、メンバーに入れなかった部員たちの思いが、自分たちの一番の強みです……」


先発メンバーでただ一人の3年生、長谷川の声が涙で震えている。スタンドの最前列で声をからしてきた3年生たちもいっせいに目頭を押さていた。最後の夏で残念ながらベンチ入りが叶わなかった小林章太外野手が感謝の思いを込めながらつぶやいた。

「3年生みんなで戦うんだ、とアイツは常に言ってくれた。ベンチに入る、入らないは関係ない。気持ちはいつも一緒なんです」


県大会に臨む横浜のメンバーは、6月下旬に発表された。部員112人の大所帯から選ばれた20人のうち、3年生は10人だけ。先発メンバーには実に8人の2年生が名前を連ねた。春夏合わせて5度の全国制覇を誇る名門校の歴史において、極めて珍しい状況を68歳の名将、渡辺元智監督はこう説明した。

 「我々にはひとつの目標がある。甲子園に出場するために、勝てるチームを作っていかないといけない。決して勝利至上主義ではないですけど、実力オンリーで選手を選んでいった結果として、たまたま2年生が主体のチームになったんです」


 昨年の夏は準々決勝で松井裕樹を擁する桐光学園に屈し、秋の県大会では4回戦で平塚学園に苦杯をなめた。3季連続で甲子園出場を逃すことは許されない。32人を数える3年生部員のうち、ベンチ入りを逃した22人は最後の夏で何をすべきかを分かっていた。長谷川が感謝の思いを込めて振り返る。

「ベンチ入りメンバーが中心の練習となる中で、ベンチに入れなかった3年生がグラウンド整備やボール拾いを率先して手伝ってくれた。本当は大好きな野球を思い切りやりたいはずなのに、いっさい手を抜かずに自分たちをサポートしてくれた。本当にいいチームだと思った。なかなか勝てなかった春先は『史上で最も弱いチーム』と言われたこともあったけど、自分たちを信じよう、オレたちなら絶対に勝てると言い合ってきました」


過去に心房細動や脳梗塞などを患った関係で、決して万全な体調ではなかった渡辺監督も「(ベンチに入れなかった)3年生がノックを手伝ってくれたんです」と頬を緩める。

 「今年は素晴らしい3年生に恵まれました。潜在能力が高い2年生が伸び伸びとプレーできる環境を作ってくれた。若いチームが一戦ごとに力をつけて、強くなっていくのが分かりました。3年生の熱い思いが優勝につながりました。本当に感無量です」


我を捨て、チームのために何をすべきか。ベンチ入りこそ果たしたものの、控えに回った9人の3年生たちも同じ思いを抱いていた。背番号19をつけた左腕、中島侑紀は攻撃時に一塁コーチを務める一方で、ピンチを招いた時には伝令役を務める。

平塚学園との決勝戦では二回無死一、二塁と八回一死一塁の場面でマウンドへ走り、中島が第一声を発した直後にバッテリーや内野陣が思わず吹き出す光景が繰り返された。渡辺監督のしゃべり方を、中島が腰に両手を当てて話すゼスチャーまで添えて真似ていたためだ。


 「みんなの笑いを取るのが好きで、1年生の頃から真似ていたんですけど……春の練習試合で伝令に行った時に監督にバレちゃったんです。怒られるかと思ってヒヤヒヤしていたら『それ、いいじゃないか』と言われて(笑)。監督の真似は何パターンか用意しています。今日も監督から『和ませてこい』と言われて、伝令に行きました」

キャッチャーの高井大地は、中島の存在が頼もしくてしかたないという。

「緊張している場面を楽にさせてくれる。3年生には本当に感謝しています。3年生を絶対に甲子園へ連れて行こう、と2年生の間でずっと誓い合っていたんです」

クリーンナップはプロの弟と監督の孫


今大会の横浜は第3シード。下馬評は決して芳しくなかった。

渡辺監督は守備を徹底して鍛え、守り勝つチームを念頭に置いていた。藤沢清流との2回戦、湘南学院との4回戦では思わぬ接戦を強いられている。
左腕の伊藤将司は3回戦以降の6試合をほぼ一人で投げ抜いた。最速135kmながら打たせて取るピッチングが試合を重ねるごとに冴え、8回コールドで圧勝した東海大相模との準決勝、そして平塚学園との決勝戦では連続完封を果たした。ガッツがあり、好リードと強肩で伊藤を支える恋女房・高井との息もピッタリだった。

サードの川口凌は堅守に加え、俊足&強打のリードオフマンとして活躍。4割を超える打率を残したセカンドの松崎建造との1・2番コンビは対戦校にプレッシャーを与えた。

3番のセンター浅間大基と4番のショート高濱祐仁は、桐光学園との準々決勝でプロ注目の左腕、松井から豪快な一発を放ってチームを逆転勝利に導いた。高濱は千葉ロッテマリーンズの高濱卓也内野手を兄に持つ。守備と走塁を合わせた三拍子が揃った183cm、87kgの大型内野手で、来年のドラフト会議の目玉選手の一人になるはずだ。

5番はファーストの渡辺佳明。指揮官のお孫さんである。幼少時に横浜高のエースだった松坂大輔と遊んだこともある。「横浜で野球がやりたい」という一念で注目を浴び、他の選手よりも厳しく見られることを承知の上で名門校に飛び込んた。勝負強い打撃を買われて1年秋からレギュラーを獲得したが、決勝戦はノーヒット。「個人的には満足していない」と甲子園での巻き返しを誓った。


対戦投手によっては2番を務めることもあったライトの根本耕太は、広い守備範囲とシュアな打撃が光った。決勝戦では9番に入り、8番・伊藤のレフト線二塁打で1点を先制した直後の一死二塁から右中間を破る二塁打を一閃。貴重な2点目をチームにもたらし、川口のライト前適時打につなげた。

8人が2年生の若いチームは、この予選で逞しく成長した。全国最多190校の激戦区を勝ち抜いた名門に甲子園での期待も高まってくる。渡辺監督は「そう甘くはないでしょう」と謙遜しながらもプライドをのぞかせる。

「力のあるチームを倒して優勝したことは、このチームの糧になる。結果にとらわれることなく、自信を持って戦わせてあげたいですね」


決勝前夜。小林は、ベンチに入れなかった22人の3年生全員の思いを込めて、一通のメールを長谷川に送った。

 「頑張れよ、と。さりげない言葉の中にすべての思いを込めました」

 長谷川から返ってきた文面もまたシンプルなものだった。

 「最高の応援を明日も頼むぞ」

これ以上の言葉はいらない。献身的な3年生に引っ張られ、支えられた無限の可能性を秘めた2年生たちが、プレッシャーとは無縁とばかりに躍動する横浜の「熱い夏」は、8月8日開幕の甲子園大会から第2章に突入する。
(文責・藤江直人/論スポ)

 3-0で迎えた九回、2死二塁。直球で相手を中飛に打ち取った瞬間、仲間と抱き合って喜んだ。「つらかった思い出がよみがえってきた。続けてきてよかった」。

 横浜高校のOB、松坂大輔投手に憧れて入学を決めた。毎日グラウンドを走り込むなど「走るメニューばかりでつらかった」。1年の冬、思わず母親にメールで弱音を吐いた。母親からの「頑張りな」との返信に、「心配してくれる親の分も頑張ろう」と決意。渡辺元智監督から変化球を教わるなど技を磨いた。さらに、毎日の走り込みが功を奏し、スタミナがつくなど、「続けて来たことが自信につながった」。

 努力が実り、今春、初めてエースナンバーを背負った。しかし、春の県大会で松井裕樹投手擁する桐光学園に敗北。「プロになった先輩もやっていた」との渡辺監督からアドバイスを受け、細い板の上でシャドーピッチングを行う自主練習を重ねた。

 満を持して迎えた夏。桐光学園に雪辱を果たすなど勢いに乗り、甲子園への切符を射止めた。「神奈川のてっぺんを取るのは難しい。それに恥じないようなプレーをしたい」と意気込んだ。(小林佳恵)

日増しに名門の背番号1が輝きを増している。本職のマウンドで粘りを見せれば、打席でも試合を決定付ける走者一掃の二塁打をマーク。接戦を演じるごとに強さを増す若き横浜の中心に、エース伊藤がいる。

 0-0で迎えた六回2死満塁。押し出し四球で待望の先取点をもぎ取った直後だ。「自分が決めなくては」。5球目の内角低めの直球をコンパクトに振り抜いた。

 鋭い打球は右翼線へ。全ての走者をホームに迎え入れる8番打者の二塁打に、渡辺元智監督も「難しいコース。打撃には期待していなかったがよく打った」と笑みがこぼれた。

 試合を決めたのがこの左腕なら、試合をつくったのもまた、この左腕だった。4強でナンバーワンのアベレージを誇る東海大相模打線にも一歩も引かない。140キロの直球を投げるわけでも、切れ味鋭い決め球を持つわけでもない。内外角の投げ分けが生命線だ。

 最も警戒していた右打者の遠藤に対しても内角を直球で突いたかと思えば、一転して外の変化球で勝負。八回2死一、二塁でも平凡な捕邪飛に取るなど、高校通算45本塁打の強打者をわずか1安打に抑え、東海の足を完全に止めた。

 これで5回戦から3試合連続で完投し、この日は失点もゼロ。「粘って投げていけば打ってくれる。必ず勝って甲子園に行く」。自信もまた試合を重ねるごとに強まっている。

カナロコ