愛飛び出すハート目がハートもぐもぐトランプスペード拍手拍手拍手~🍀🍀🍀🌈🇯🇵




 

 

 

 

 

 

 

 

入団初年度⚾🤩~🍀☀️

 

 

 

 

 

 

 

 

 4月10日、プロ野球最年少記録の20歳5か月で完全試合を達成した佐々木朗希投手

完全試合を達成した佐々木朗希「記録とは無縁だと思っていたので、執着はなかった」

4月14日(木) 8:52

提供:
―[17の閃光~佐々木朗希物語~]―

◆大記録を達成した夜は“令和の怪物”も眠れなかった

さすがの“令和の怪物”も眠りにつくことができなかった。4月10日、ZOZOマリンスタジアムでのバファローズ戦。佐々木朗希投手が完全試合を達成した。1994年の槇原寛己(巨人)以来、28年ぶり。21世紀に入って初めて。令和初の快挙となった。これだけでは終わらない。13者連続奪三振は日本新(メジャーも10者で世界新)。19奪三振はプロ野球最多タイとなった。

「午前4時には目が覚めました。いつもならベッドに入ったらすぐに眠りにつけるのに、眠気がまったくなかった。眠ったのはたぶん2、3時間ぐらい」

偉業達成から一夜明けて午前9時にはグラウンドに姿を現し、入念に身体を動かした佐々木朗希は屈託ない笑顔で寝不足であることを明かした。

試合後はいたって冷静だった。「(完全試合への)執着はなかった」とケロッと話し、「奇跡ですよ」と笑い、周囲からの「もう1回、完全試合を」の呼びかけに「もう大丈夫」と切り返した。そして試合後にメディア対応を行った後、帰路に着く際は普通の20歳の青年に戻り、夕食の選択に悩んでいた。

「きょう、試合前には夜はトンカツをテイクアウトしようとイメージしていたけど、どうしようかな」と言って、困ったように頭をかいた。結果的には「完全試合のご褒美に」と少し贅沢をしてお寿司をテイクアウトし、自室で食べた。

◆プロ入り初の完投・完封試合が完全試合に

たくさんのお祝いメッセージが届いた。今までにない数に、凄いことが起きていることを実感した。そして試合の映像を初回から振り返った。佐々木朗希は試合後に必ず投球を振り返り、次回への課題・取り組みを整理する。映像を見ながら、自分がついさっき大観衆の前で披露した異次元のピッチングが遠い世界のことのように感じた。不思議な体験だった。

「映像を見て緊張しました。試合で投げている時はそうでもなかったけど、映像を見ているとドキドキした。最終回は特に。ブルペンでの調子があまりよくなくて、心配していたことを思い出しました」(佐々木朗希)

映像を見直し終わると身体中が熱くなっていた。夜の12時に横になっても目は冴えわたった。マウンドから見えた光景が何度も脳裏を過った。

「ボクは記録とは無縁の人間だと思っていた。諦めていた。今回もどうせできないと思っていたので執着はなかった」

佐々木朗希はこれまで歩んできた道のりを振り返りながら、そう話をした。アマチュア時代も完全試合をしたことはない。プロに入って初めての完投・完封勝利が完全試合となった。

◆小学生の時に上がったマウンドでは「打たれた思い出しかないです」

まさか、このスタジアムで日本中、いや世界にまで衝撃を与えるようなピッチングを見せることになるとは小学生の時に初めてこのマウンドに上がった佐々木朗希からしてみると想像もできない話だろう。

東日本大震災で「グラウンドを失った子どもたちに夢を」というコンセプトにスタートした「リアスリーグ」に賛同したロッテがバックアップする形で2013年に始まった少年野球大会の第1回がQVCマリンフィールド(現ZOZOマリンスタジアム)で行われ、当時、小学校6年生だった佐々木朗希は千葉の少年野球チームとの親善試合でマウンドに上がっていた。

岩手県の大船渡をバスで出発して、朝に千葉到着。大会では優勝の栄光を勝ち取り、試合後にはサプライズゲストとして当時千葉ロッテマリーンズのエースだった成瀬善久投手が登場して記念撮影を行うという演出もあった。佐々木にとって忘れられない思い出だ。

ただ、ここでのゲームでとりわけ活躍をしたわけではない。「あの日は風も強くて、うまく投げることができなくて打たれた思い出しかないです」と振り返る。

◆まだ20歳。栄誉ではあるが、通過点に過ぎない

それが、月日が流れて今、日本中のプロ野球ファンの度肝を抜くできごとをやってのけた。“令和の怪物”と騒がれるようになった高校時代から、自分の心と世間の喧騒がかけ離れて感じる時があった。そしてそれは完全試合を達成した今もある。

土日のデーゲームの時にはふと考えることがある。もしプロ野球選手ではなく、普通の野球少年だった自分がそのまま大学生となっていたら、どうなっていたのか。そして社会人になっていたらどんな仕事をしていたのか。

デーゲームで多くの観客がスタンドで楽しそうに野球観戦をしている姿を見ると、誰にも注目されることのなかった普通だった自分と、今でもその心を残す普通の自分が問いかけてくる。土日に休みがある生活に憧れる時がある。そんな若者が偉業を達成したのだ。

「今回の登板の結果は、次の登板ではもう関係ないことになる。また一から打者を抑えて頑張るだけだと思っています。次からまた結果を求められる。高い結果を求めるのではなくて、自分ができることをやっていきます」

この冷静さがまた背番号「17」の魅力だ。4月10日、ZOZOマリンスタジアムで閃光が走った。日本中が湧く衝撃の閃光だった。しかし、まだ20歳。40歳現役を目指す若者にとって栄誉ではあるが、通過点に過ぎない。浮かれ過ぎず、冷静に。自分の足元をしっかり見つめて、前に進む。

その先にはいったい何が待っているのか。小学6年生だった佐々木朗希にはこの未来を現実として思い描くことができなかったように、20歳のこの男が今後、どのように成長をするのかを予想できる人はいない。

文・写真/千葉ロッテマリーンズ取材班

―[17の閃光~佐々木朗希物語~]―



【関連記事】
・ 佐々木朗希が、震災の津波で亡くなった祖父母を思い出す味「ロッテのチョコパイ」
・ 震災後の仮設住宅で観た、田中将大の“炎のマウンド”。ロッテ・佐々木朗希の思い出
・ “令和の怪物”佐々木朗希が人生の指針とする、イチローの言葉
・ マリン初勝利を挙げた佐々木朗希が胸に秘める「今ある毎日の大切さと、周囲への感謝」
・ 佐々木朗希、プロ初勝利の舞台裏「甲子園で勝つことができてよかった」

 

 

完全試合を達成した佐々木朗希「記録とは無縁だと思っていたので、執着はなかった」
―[17の閃光~佐々木朗希物語~]―

◆大記録を達成した夜は“令和の怪..........
≪続きを読む≫