この前、きのこの記事を書いてたとき、
感心したエピソードを見つけたので、ご紹介いたします!
12月も終盤、
師も走るしわす。 真っ只中でございます。
一説によると 師走の
師とは僧侶のこと
と言われています。
僧侶とは、出家して修行をしている人
ぜんたいを指す言葉らしいのですが、
その中でも、ひときわ有名なのが、
仏教の開祖、お釈迦様(ブッダ)です。
本日は、そんな
お釈迦様(ブッダ)の
食中毒(食あたり)になると分かってても、
食べる。
という教えをご紹介いたします。
食中毒になると 分かってても食べるブッダの教え。
原因は、なんと食中毒。
旅の途中、村人のもてなしを食べて、
それに当ってしまったとのことです。
スーカラ・マッダヴァなるものを食べて、それにあたったとのことです。
スーカラ・マッダヴァとは豚肉料理だとか諸説あるようですが、
有力説のひとつには、きのこではないかと も言われているようです。
トリュフは、豚が地面に花をこすりつけて探すそうですから、そういった きのこだったかも という説があります。
しかし、ブッダは、すべてを見通す神通力が備わっていましたから、
きのこを食べたら、食あたりで死ぬことは分かっていたそうです。
では、なぜ食べたか……?
それは、
村人が苦労して、ごちそうを用意したこと、
心を込めたことが分かっていたから。
死ぬと分かっているのに
きのこ料理を食べたのは、
”人の善意や好意を
無にしないことこそが、仏の心だから”
だそうです。
ハッとしました…
日常でも、よくあるじゃないですか
良かれと思ってしたことが、
お節介になることって。
自分は、よくやってしまうので、
仏のように許せ( ̄ー ̄)
とは言わないですよ…
ただ、逆も然りで
自分が同じ状況になったときに、
きのこ…食べれないなーっと。
それどころか、
お、おまえ、、
な、なに出してくれてんのじゃー
((((;゚Д゚)))))))
とか言っちゃいそう……。
ん~…修行が足りません。。。
まぁ…
ふつうの人間であれば、
怖いですし、避けるのは当たり前です。
現代社会で、考えると
お店だったらクレームものですからね。
でも、ブッダはちがった……。
思うに、
この方は、自分の本能や感情ではなく、
道理に従って生きてらっしゃったのだなっと。
正しいと思うことには、
自らを犠牲にしてでもすすむ。
そこに、
自分が得をする損をするという考えを挟まない。
これは、
日本人の多くが心打たれる姿勢ですよね。
仏教にはまる人が多いのも、
そんなものの考え方が
根底にあるからなのかな~と
思ったりしました。
前回、クリスマス贔屓だったので、
今回は仏教も書いてみました🍵
健康はどこいったんじゃ……
師も走り回る、心をなくすほど忙しい師走。
無宗教ですが、気づきをもらえた お話でした。
でも、、、料理を用意した村人は
え~……分ってたなら食べないで~……
と思わなかったのでしょうか。。
自分だったら、背負いきれません。
自分のせいで、お釈迦様が……
だなんて、、、
考えるだけでも胃が痛い…
でも、そこは、やはり何かの教えがあるのでしょうね。。
感心しながらも、村人のことが少し心配になってしまった年の瀬です。