機動警察パトレイバー2 the Movie | 燃える ☆ 美食 ♪

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 もう20年以上前のアニメ、 “ 機動警察パトレイバー ” がCGミクスチャーの実写版で映画になった。

 その等身大パトレイバーが先週、Ken-G. 宅から近所の海上自衛隊八戸基地記念行事に、客寄せパンダでやって来た。

 もちろん、混雑が大キライな Ken-G.は、そんなモノを見には行かなかったが( 笑 )。

 Ken-G.の興味の焦点は、やはりそのストーリーにある。

 それがアニメ映画版 “ パトレイバー2 ” をベースにしていると言うのだから、面白そうだとも思うワケだ ♪


 時系列は放映当時である20世紀末にとっての近未来、即ち今こうしている “ 現代 ” 辺り。

 作業用機械、その英訳から “ LABOR( レイバー ) ” と呼ばれる人型の二足歩行ロボットが普及しつつある時代。

 現実にはオーバーテクノロジー甚だしいが、そこにはVHSテープが現役だったり携帯電話がガラケーだったり、防衛 “ 庁 ” なのが妙にチグハグな現実感もり、年齢・世代を問わず間口が広く楽しめるストーリーでもある。


 アニメ映画版のあらすじはこうだ。

 ある日突然ベイブリッジが爆破され、その攻撃は航空自衛隊の戦闘機によるものであり、自衛隊のクーデターだとされる。

 その原因究明と事態解決の為に治安用 “ レイバー ” を装備する警視庁特殊車両第二課( 以下、 “ 特車二課 ” )の警部補と防衛庁の諜報幹部が暗躍。

 しかし自衛隊も警察も平和ボケに目出度く腐り溶けた駄脳をタレ流すばかりで、事態対処は後手後手に回り悪化の一途を辿らされるまま、姿をなかなか現さない犯行組織の真の目的が、まんまと達せられるという展開。それは反乱や金銭要求ではなく、“ 戦争状況を首都に作り出す ” 事。

 アメリカ軍需産業からの横流しと推定される攻撃ヘリを自衛隊機にカモフラージュして都内のインフラを破壊し、あらゆる通信設備、橋、道路を寸断。

 自衛隊のクーデターに見せかけ、かつ情報と人的・物的交流を途絶させて首都の機能を停止、着色ガスをバラ撒き全ての人の動きも膠着させる。

 誰とも通じない、何処へも行けない、壊滅同然の首都・東京。犯行組織にことごとく踊らされた警察と自衛隊はもはや機能不全に陥り、米軍の介入により再建を余儀無くされる日本。これが犯人の目論んだ “ 戦争状況 ” 。


 防衛庁情報職種の幹部、荒川茂樹は犯人の組織力を知る故、その捜査を公に行わず、警視庁特車二課のキレ者で知られる後藤喜一警部補に隠密の協同捜査を依頼する所から、この映画のストーリーが動き出す。

 テレビアニメ版とは打って変わって、“ 大人が主役 ” のドラマが、今見るとなお面白い事に気付かされる。

 劇中で荒川や後藤らが語る場面が何度かあるが、それらが実に深く印象に残る話なので紹介する。

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荒川:

 後藤さん。警察官として、自衛官として、俺達が守ろうとしているものってのは何なんだろうな。

 前の戦争から半世紀、俺もあんたも生まれてこの方、戦争なんてものは経験せずに生きてきた・・・。

 平和。

 俺達が守るべき平和。

 ・・・だがこの国のこの街の平和とは一体何だ?

 かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策。

 ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。

 そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争・・・。

 そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。

 それが俺達の平和の中身だ。

 戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。

 正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和・・・。


後藤:

 そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ。

 たとえ不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ。


荒川:

 あんたが正義の戦争を嫌うのはよく分かるよ。

 かつてそれを口にした連中にろくな奴はいなかったし、その口車に乗って酷い目にあった人間のリストで歴史の図書館は一杯だからな。

 だがあんたは知ってる筈だ。

 正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。

 平和という言葉が嘘つき達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ。

 ・・・戦争が平和を生むように、平和もまた、戦争を生む・・・。

 単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?

 その成果だけはしっかりと受け取っておきながら、モニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける・・・。

 そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると。


後藤:

 罰? 誰が下すんだ? 神様か?


荒川:

 この街では誰もが神様みたいなもんさ。

 居ながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。・・・何一つしない神様だ。

 ・・・『 神がやらなきゃ人がやる 』・・・。

 いずれ分かるさ・・・。俺達が奴に追い付けなければな。


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 『 冷戦 』や『 代理戦争 』という言葉から、もう時代感がひとつのピリオド以前のものだという感も否めないが、この映画で後藤、荒川、犯人の柘植が語る言葉の内には、恐るべき先見性が現れている部分もある。

 ヒーローロボットとそのパイロットという本来主役であるべきキャラ達を脇役に押し込め、彼ら “ 大人 ” 達が語る言葉は、間違いなく本作監督:押井守氏の代弁である。


 世界網羅で放送される動画サイトに写し出された日本人が、テロリストにより生首を切り落とされる。

 物理的エネルギーだけなら核兵器の数十万倍以上にも及び、予測不能で膨大な破壊力を持つ自然災害。

 それらの通り、今という時代はこの映画よりも危機の要因が多様に渡っている。

 だからこそ本作の大人達から述べられる押井守氏の言葉に、甚だ戦慄を覚えもするのだ。


 荒川が述べた『 神がやらなきゃ人がやる 』・・・。劇中では首都に人畜無害のガスがバラまかれる場面があったが、本作放映の約2年後には大量殺害を目的とした本物の猛毒が首都の数カ所で撒き散らされる事件が起こった。都心部の脆弱性が世界中に露わになった地下鉄サリン事件は、治安に関わる全ての機関を震撼させた。

 犯行組織は宗教団体であるが、教祖も信者も紛れも無く “ 人 ”。そこには狂信の対象であるはずの神など無い。

 『 何ひとつしない神様 』と宗教団体にとっての神を狂信する “ 人 ” に荒川の台詞が絡み、底暗く深い怖さを覚えたものだ。


 それから『 ここが戦線の後方に過ぎない事を忘れたフリをし続ける 』に加え、後藤警部補が語る場面もいくつかある。


 『 戦線から遠のくと、楽観主義が現実にとって替わる。

 そして最高意思決定の段階において現実なるものはしばしば存在しない。

 戦争に負けているときは特にそうだ 』


 『 誰もが “ まさか ” と思いながら、同時に “ もしや ” という思いも否定出来ない。

 あのベイブリッジの事件以来ね・・・ 』


 → 震災危機に直面した時の国家中枢のアホさ加減を、今更ながら思い起こされた。

 それからテロも津波も自分達からは遠くで影響無ければ、それら惨状はワイドショーのネタとしか受けない、平和のハトポッポ丸出しの日本国民、無辜の民。居ながらにしてその目で見、 その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る・・・、何一つしない神様だ。

 あの震災を目の当たりにした人なら、今でも揺れの強い地震が来れば、“ まさか ” と “ もしや ” の思いに苛まれる事も多いというのに・・・。

 昨今の内陸河川周辺における大規模水害では、住居を失った避難民に対する今後の施策も未だ示されない。その深刻な “ 知らんぷり体質 ” すなわち “ 嘘つき達の平和 ” こそが、東日本大震災を赤の他人事としていた何よりもの証であると、この際言い切っておこう。


 その一方では『 そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ 』・・・そう言われるまでもなく、淡々と体を張って救助に当たる治安機関の隊員達もいる。


 本映画の最後で犯人・柘植行人は投降して逮捕されたが、その時の彼の言葉はささやかな感動を覚えるものだった。


同行する警官:

 これだけの事件を起こしておきながら、なぜ自決しなかった?


柘植:

 もう少し、見ていたかったのかも知れんな・・・。


警官:見たいって、何をだ?


柘植:

 ・・・この街の、未来を。
 
 
 犯行の数年前には自衛隊に所属し、PKOで派遣された東南アジアの地で彼は日米のアホルール・第九条の縛りとその後方指揮部隊の呑気さから、部下を全滅へと追いやられる。

 確かに柘植はそんな国家への絶望感から犯行に及んだ訳だが、僅かな希望の思いもあったのかも知れない。

 その彼の儚い思いは、後には正しかった事が証明される。

 時系列的には、彼が逮捕された数年後になる現代。

 戦争をも遥かに超えた未曽有の災害現場では、もはや荒川の言うところの “ 欺瞞に満ちた平和 ” や “ 国家の無能 ” などお構いなしに、命を懸けて立ち向かう者達もいるのだ。


 実在するなら、今も獄中にいるはずの柘植にこう言いたい。


 “ 柘植さん、あなたの後輩達は良くやっていますよ ”


 ってね( 笑 )。