春しゃんと一緒に風呂に入っていた時、
風呂のお湯が冷たい時、暖かくしたかったら、お湯の蛇口をひねって、お湯を入れるけど、自分の方、自分の方、手前に、手前に、お湯をかき混ぜるけど、暖かくならない。

逆に、相手の方、相手の方、奥に、奥に、かき混ぜると、段々と暖かくなった。

なんで?なんで?と思ったものだ。

この体験だけは、何故か今も鮮明に覚えている。

時が経ち、大人になって思った。

これって、人生なのでは?と!

自分が自分がでは、幸せを感じる事が出来ない。感じたとしても独りよがりだということ。

先ずは、相手に幸せをプレゼントすること。

そうすることで、自ずと自分にも幸せが舞い込むことを知った。
自分自身が幸せを感じながら

時が経ち、この教えが、二宮尊徳の言葉だということを知った。

風呂のお湯を、自分の方にかき寄せれば、
みんな向こうに流れていく。逆に向うに押してみると、こっちに流れてくる。
これが世の道理である。

自分のことだけ考えて、幸せを手に入れようとしても、自分の所から逃げていく。
他人のことを考えて、他人の幸せを願い行動すると結果的に自分も幸せになることが出来るのである。

「利他の心」だったのだということを知った。

春しゃんは、風呂場で、これを教えてくれた。
凄いぜ、春しゃん!

そう言えば、目の前の小学校に、二宮尊徳の銅像があったなぁ〜。



11人兄弟の7番目に生まれたそうである。

2人は、幼い頃に亡くなったと聞いたので、本当に7番目かは定かではないが、
実際、9人兄弟だから間違いではないようだ。

姉、姉、兄、兄、兄、兄、本人、妹、弟
だったと思う。

当時は、戦争前から戦時中の期間だから、どれだけ大変な想いをして生きていたのかわからないが!

春しゃんは、その頃の事を一言も言わない。
昭和の男は、愚痴とか言わない。
あの頃は、どうのこうのとか、言ったことを聞いたことがない。

生きることが大変な時代だからなのか、
命を繋ぐことの大切さを実感していたからなのか、昭和の男は凄い!



床屋の親父である春しゃん。

毎日、毎日、当たり前だが、お客様の髪を切り、髭を剃り、頭を洗いながら、色々な話をしていた。

お客様が居ない時は、お客様の座る椅子(神聖なる椅子)で、グースカ、ピースカ、寝ていた。

若い頃は、忙しくて、そんな風景を見ることは滅多になかったが、段々と歳を取り、街の人口が過疎化により少なくなってからは、寝てる方が多いように感じた。

半分憧れでもあった。
寝ててもご飯が食べれるなんて、、、