3/9 かつて、住んでいた樟葉へひろやんの車で出かけた。

友だちにバザーの品物を届けた。

当時の我が家は、家は建て替えられているが、門や塀は残っている。

 

今でも、楠葉って聞くと胸が熱くなる。

「温かい家庭を築きたい」、ケンさんと私の夢の初めの一歩だった。

 

たかやんは生まれたばかり、小さい子でよく泣いた。

香里園近くのアパートの二階で、暮らしていたが、

気兼ねなく声を出し、走り回れるところで育てたかった。

 

 

目いっぱいローンを組んで、越してきた。

緑が豊かで、トンボもセミもないてる。

空き地には、名もない草が花をつけている。

都会育ちの私には、毎日の自然がまぶしかった。

ここでひろやん、あんこが生まれ、三人、もつれあって育っていった。

 

 

 

 

今日の訪問先は、1軒おいた古くからの友人宅。

当時、専業主婦だった私に、仕事を持つことを進めてくれた;

「これからの女性は仕事を持つべき」

「あなたはまだ若い、仕事を持ちなさい」

 

こうして私は、小学校教師の職をえた。

彼女は私の子どもたちを預かり、保育園の送迎までしてくれた。

 

ところがたかやんの小学生になり、学童保育に通うため移動しなければならない。

それも子供の足で2キロ、それも楠葉大開発のためのダンプ街道を。

 

たかやん一年生の冬休み、楠葉から今の家に越した。

保育所や小学生のための学童保育が充実している地域を探し、

香里団地にほど近い、今の家に転居した。

 

以後も、彼女との縁は続いた。

彼女は、いわゆる活動家に育ち、保育所つくりや生協発足などさせた。

女性のウオーキングクラブも運営して、私もときどき参加してる。

 

彼女は、これらの活動の資金が欲しい、バザーの品物が欲しい、

私は、家の不用品を集めては届けている。

それと服代も惜しむ彼女に、着なくなった服をも、、。

 

我が子のように育てたひろやん、たかやんの成長に目を細めてる。

ひろやんもたかやんも、今でも覚えてるんです。

ここでの生活、自分たちの育ったところが楽しかったと。