先日、映画「八重子のハミング」を観ました。いい作品でした。ラストシーンで、八重子さんが「あ・り・が・と・う」と声にならぬ声で旦那さんに語りかけるとこは、事前にテレビで観てなければ涙腺崩壊間違いなしだったでしょう。
注意すべきは、この映画は夫婦の情愛を描いたものであること。若年性認知症を発症した人の介護を描いた映画ではない。そう観なければ、家族と地域の力だけで介護することを奨励するという、間違った捉えになってしまう可能性があると感じました。

今年から登録後13年を超える車には重課税率が適用されるようになりました。私の車(軽貨物)は平成17年登録なので、このまま乗り続ければ3年後の平成31年度から重課税率適用で現在の4,000円から6,000円になります。

私の住む市内では車は生活の足。山間部等に住まれる方にはなおさらのこと。車がないと生活が成り立たないという高齢世帯も一定数あるはずです。そういう方には、殊にこたえる税制変更だと思います。

車が古くなれば当然その資産価値は落ちていきます。趣味でオールドカーを持たれる方もありますが、問題は、生活のために古い車を維持し続けるしかない方がいらしゃるということ。車を買い換える資力もないため、古い車を持ち続けているだけのことなのに、高い税負担を求められる形です。そのような状況の方が当市内だけでもどれくらいおられるのだろうか。なんとか調べてみたいと思っています。

 

国立競技場やエンブレムのことで、みそが付きっぱなしの2020年東京オリパラである。渦中でご苦労の方には申し訳ないが、この一文の中ではそんなことはどうでもいい。ビッグイベントが現実のものとなるまでの振幅のうちのいくつかであろう。

およそ50年前の東京でパラリンピックがあった。そして5年後に東京で2回目のパラリンピックがある。さて、その50年後、2070年頃ということになるが、我々はいったいどんな姿のパラリンピックを見ているのであろう。

50年後にありうる状況として、
再生医療・遺伝子治療の発展による、多くの疾病や障がいの克服。
現在のIPC規則に規定される最小限の障害に該当する人口の減少。
などが考えられる。
2020年前後のパラリンピックと2070年前後のパラリンピックとでは根底にある状況そのものが大きく変わっていると推測され、ほぼ同じ姿であると想像する方が不自然であるように思われる。五輪とパラリンピックに共通するスポーツ種目(射撃もそうだが)では、五輪とパラの統合が論じられたり、あるいはパラのクラスの減少ということが50年後くらいには現実となるだろうか。

五輪パラ共通の状況として、ドーピングチェック項目に遺伝子改変の検査がある(そうなるのに50年を要しないだろう)のは可能性が高いと思われる(筋肉や神経伝達の形質を支配する遺伝子がわかればそれを触ることで特定の運動機能を向上させた人間を作り出すことは近々実現可能なことに思われる。技術が力のあるものになればなるほど、それを操る人間の自制心と倫理観も向上せねばならない。が、選手本人のみならず、父母の遺伝子も検査しなければならないというような状況になるとか???)。

ドーピングに関して言えば、私も選手に対してきちんと対応するようにうるさく言う立場である。アンチ・ドーピングの大きな意義の一つはフェアネスの確保であり保証である。が、現場の指導では「ちゃんとやっとかんと自分が損するよ」という損得レベルの話しである。今後も、アンチ・ドーピング運動は医療なり薬学の進歩に懸命に対応していくということが続いていくのかなという気がする。

2016年のメダルには2016年のメダルとしての価値があろうし、2020年のメダルには2020年のメダルとしての価値があろう。おそらく2070年(四年周期が変わらなければ、2068年や2072年だが)のメダルには2070年のメダルとしての価値があろう。単純化すれば、五輪やパラは多様な競争条件を設定しその中で人間の心身能力の限界を広げていこうという作業であるが、科学技術が気忙しく進歩していく中でスポーツがどうなっていくかは興味をそそられるところだ。おそらく中世の人たちにとって絶対的な存在に近かったであろうと思われる宗教が、科学技術の進歩によって変容を迫られながらも(科学技術の進歩に拒絶的な宗教もあるようだが)今もあり続けるように、スポーツもあり続けることは間違いなさそうには思う。

50年後に自分がこの世にいる可能性は非常に低いが、どうなっているか見てみたいものである。