※思いの丈書いてたら物凄く長くなりました。お気をつけ下さい。

何日か前にメールが届いた。この歳になると振り返れば大切な人を何人も失っている事に気づく。
何より父を亡くした事は心のダメージよりも「いつか親は先に死ぬ」という現実を我々兄弟に突き付けた。それは悲しみよりも帯を締め直す。という思いに近かった。
だから今さら誰が亡くなってもそんなに心がズキと痛む事は無いと思っていた。どこか「いつか人は死ぬ」を何回か繰り返していると、無傷ではないがそうそう泣かなくなるし、淋しさにも慣れてきた。家族ならともかく他人で涙を流す事はそうそうない。
しかし、私が所属してる事務所から来たよくある業界人亡くなりましたメールは違った。訃報というやつ。いつもなら「へえー、あの人がねぇ。」ぐらいだったはず。そこに書いてあったのは今でも信じられない、大好きな人の名前でした。


【訃報】辻谷耕史様が逝去されました


は?声優に辻谷耕史ってもう1人いたっけ?
だってあの人一昨日ライブしてたもん。ツイッターで見たもん。まだ50半ば。ウチの父でも64歳で逝ったもん。ちょっと前だけどバッタリ会った時も普通だったもん。あの人なわけない。
迷子の子供が永遠に家に帰れない事をイメージして、食道辺りから嗚咽が駆け上がってくる感じ。そして子供なら泣きじゃくる。「ママ〜!」って言いながら。それに似た嗚咽みたいなのを抑制してメールを下にスライドする。詳細が記載されてる。あの人だった。本当に、本当に大好きな辻谷耕史さんの事だった。

私は小学生の頃からイジメられていてよく泣きながら学校に行き、よく泣きながら学校から帰ってきてた。名札が「ロア」。まあ当時1985年なんてハーフはいない。ついたあだ名は宇宙人。よく「宇宙人は星帰れや」なんて言われたもんだ。母は「お前泣かんとやり返せや。どっかで変えやなあんた一生イジメられるで?」という強い意志の持ち主だったが当時はまだ向き合う、立ち向かうが分からなかった。そんな中、自分の意思で初めて好きになったものがある。野球とビリヤードとバイク、そしてアニメ。中学生になると無免許でバイク乗ったり、夜中家を抜け出したり色んな事をした。でも何かが足りない。何かが埋まらない。
そこで父は仕事場にスタジオを作りドラム、ベースアンプ、ギターアンプ、マイク、ミキサーを置き、その後ろにビリヤード台を置いた。
私はビリヤードに夢中になった。上手くなることに努力した。野球にも。ボールを転がし、打ち、特定の場所に狙ったスポーツが好きになった。
でも、まだ足りない。プロ野球選手に憧れない。プロのハスラーに憧れない。イメージが全くできない。将来の夢は?と聞かれていつも答えてたのはマイケルジャクソンかケーキ屋。でも踊れない。歌えない。ケーキのレシピなんて知らない。
そして91年。同級生の生粋のオタク椎名とガンダムやロボットもの好きの川副と陸上部なのに漫画大好き酒井という変な3人組。彼らと仲良くなる。そして彼らに勧められて出会ったのが、当時ジャンプしか読んだことない私に衝撃を与えた乳房が出る漫画「らんま1/2」とガンダム以外のかっこいいロボット「機動警察パトレイバー」が掲載されていたサンデー。極め付けはHな本だと思い込んでもはや異次元レベルの存在だったヤングマガジンに連載されていた「3×3EYES」だった。
ロア「なんなんこれ?エロ本?」
椎名「ちゃうよ!パイちゃんを見ろ!タクヒを見ろ!バラスヴィダーヒ!」
ロア「、、、なんなんこれ?めっちゃおもろいやん!バラス!ヴィダーヒ!!これ、普通の本屋で売ってんの!?」
椎名「単行本あるよ!」
ロア「単行本って何?」
椎名「何巻とかでバラで売ってるやつや!」
ロア「ほな買いに行くわ!」

当時の私のお小遣いは¥3,000。それを握りしめて本屋へ。単行本は当時確か¥350ほど。しかしヤンマガは高かった。¥500。衝撃。大人の買い物をした瞬間だった。3×3EYES4巻と8巻。計¥1,000。駄菓子屋がメインの私には高額だ。しかし、、、
そう、気づいた人は気づいただろう。綾小路パイとアルマリックグプター、ガルガのところである。即ち私はよく分からず、とりあえず在庫のあった2冊を買い、いきなり2部と3部を飛ばし読みしていたのだ。でも、、、面白い。今まで見たことないようなドキドキとワクワク、冒険と危険、想像できない展開、世界観、そこにしか無い言葉、理屈、象徴。
全てがダイヤモンドのように煌めいていて、いつか自分もこんな漫画を作ってみたいと思うようになった。絵は好きで落書きをよくしていた。下手くそだけど。それでも楽しかった。誉められないしどっちかと言うとキモイキモイとよく言われていたけど好きだったし楽しかった。
そして、Xデーはやってくる。

ロア「椎名、3×3EYESがテレビなったらええのになぁ」
椎名「テレビ?」
ロア「テレビ漫画なってくれたら喋ったりすんのになぁ。Hやし無理なんかなぁ」
椎名「ロアけん、何をゆーとる?それアニメか?アニメのことゆーてる?」
ロア「アニメと漫画って何がちゃうの?」
椎名「漫画はお前が持ってる本が漫画や!紙や!本や!アニメはテレビでやってる動くやつや!」
ロア「へーー!そうなんや!ほな3×3EYESがアニメなったらええなぁ」
椎名「ロアけん、ほな今度ええもん貸したるわ」
ロア「なに?」
椎名「OVAや」
ロア「OVAってなんや?」

翌日

椎名「ロアけん、これや。3×3EYESのアニメや!」
ロア「え!?そんなんあんの?どこでやってんの?」
椎名「どこでもやってへんよ!OVAはオリジナルビデオアニメーションや!ビデオだけやねん」
ロア「え!?ほなテレビでやってへんのに、このテープかけたら家で3×3EYESのアニメ見れるんか!?やばい!パイちゃん動くやん!八雲動くやん!」
椎名「そやで!後な、、、これも貸したるわ!」
ロア「何これ?CD?」
椎名「これはな、CDドラマや!天の巻、人の巻!」
ロア「へーー!なんか分からんけど聴いてみるわ!」

翌日

ロア「椎名!パイちゃんめっちゃ可愛い!八雲めっちゃかっこええ!なんなんこれ!もうないんか!?」
椎名「な?最高やろ!?やっぱ林原やな!」
ロア「林原てなんや?」
椎名「声優や!パイちゃんの!」
ロア「へー、パイちゃんの可愛い声、林原ゆーの?」
椎名「そうやで!ほんで八雲はバーニィやで!」
ロア「え!?八雲の声ってバーニィの人なん!?ポケットの中の戦争もカードダスでしか見てないねん」
椎名「ポケットの中の戦争もOVAや!ほな貸したるわ!後な、明日ハートフルとラジメニア持って来たるわ」
ロア「ハートフルとラジメニア?」

それ以降、私は虜になる。林原めぐみと辻谷耕史に。中学生の時に無責任艦長タイラー、そして今でもプレイスタイルが大好きなスラムダンクの藤真、誰もが涙してそしてカラオケでも流行ったF91、ナディアのエアトン、、、もう数え上げたらキリがない。
そして私は声優になりたいと思い色んな本を買う。俳優さんの演技の本、自伝、俳優になるには?みたいな教習本、etc
でも、条件は「東京に行くこと」や「専門学校」など。なんかよく分からなかった。声優って芸能人?タレント?なんの人?よく分からなかった。母に「俺声優なりたい!林原めぐみとか辻谷耕史とか3×3EYESみたいなアニメ出たい」と言うと「はいはい、それで出れたらみんな出てるんちゃうかぁ。あんなんは選ばれた一握りの人間しかなられへんねん。お前に一握りに選ばれる何か特技あるか?ないやろ?さらに一握りの中からさらに一本の指に残らなアカンねんで?お前そんな根性ないやろ?なんの努力もせん人間がなんぼ才能あろうが関係ないわ。そもそもあんた才能あるかどうか知ろうともしてへんやん。そんなんでプロなれるか!」
確かに母の言う通り。私には何もなかった。自分を確かめようともしなかった。ちょっと他の中学生よりビリヤードが上手い。何の役にも立たない。趣味の範疇。あとは、、、何も無い。

そして95年ドラムに出会いドラムを始める
ドラムに夢中になりここから下手くそと言われても「何クソ!」という根性が芽生える
98年杉本善徳さん、OLDCODEXのベースの泰造に出会い、亮三、ヤギイちゃんに出会う。多大な影響を受ける
同年I'zeに出会う。初めてのローディー経験。ここでも多大な影響を受ける
99年wyseと出会う。ここの影響が大き過ぎて今でも残っている
00年wyse加入、SOPHIAのメンバーと出会う。多大な影響を受け色々教えていただく
同年永井利光さん、一条和矢師匠に出会う
01年メジャーデビュー
03年脱退
04年CODE結成。ボーカルと作詞作曲を開始
05年大先輩の事務所に所属
08年退所。バンド解散

大好きでずっと尊敬していて信頼していた大先輩と別れた。本当に辛くて、身も心もボロボロだった。周りに人はほとんどいなくなり、残った人は「信頼できる人」なのかな?と少しわかり始めた三十路手前。
この時、母に「あんた、もう疲れたやろ?大阪帰ってくるか?」と優しく言われたのを忘れない。
そして私はそこで決意した。あの時持てなかった根性を今こそ出すべきだと。
「オカン、俺ホストやって金貯めて、演技の学校行って声優なるわ。もう1から全部やり直すわ。」いつもなら、は?アホちゃうか?と言う母だったが「あんたの好きにし、後悔したらアカンで?あの時こうしといたら良かった。はもう通用せえへんところまで来てるで?」
そして一条和矢師匠に個人レッスンしてもらい滑舌や基礎的な感情表現を習得するため、曲作りの勉強をするため、自分の声を研究するため多額の借金して自宅にスタジオを作る。いつも目の前に3×3EYESを置いて目標にする。

08年夏日ナレ入所、同時にホストクラブに入店
同年一条和矢師匠の紹介で声優初仕事
09年Virgil結成、アズリード所属、初舞台
10年アズリード退所、メンバー脱退、2期開始、初ミュージカル、湯澤先生に出会う
11年新テニスの王子様のオーディションに受かる、作家デビュー、初の主役や他のアニメにも出たりナレーションも始める

そして2012年12月

知り合いの紹介で憧れの辻谷耕史さんに出会う。
忘れもしない人生初の人狼をする。

この時、思いの丈と今までの事を話す。ずっとあなたを目指していたんだと。あなたと林原めぐみさんが始まりだった、3×3EYESがあったからあの時の夢を捨てずに大阪に帰らず東京にしがみついたと。沢山辛い事、失敗と成功、修羅場があったけど乗り越えてこれたのはこの日の為だったと。
すると辻谷さんは言いました。「そっか、ありがとう。俺もずっとしがみついてるんだよ。ロアと変わらないよ?俺も色々あるもん。当たり前だよ。だけどそんなしがみついてる俺を見て、ロアも夢にしがみついてるんだな。そういう後輩がドンドン出てきて負けられないと思うし、ありがとうって思うよ。」
すごく、すごく嬉しかった。大きかった。言葉が重くて胸にズシズシ響いて今まで辛かった事や逃げ出したかった事全てが、後悔した事や失敗した事も、全ての色が綺麗な色に染まっていくように感じた。この人に憧れて良かった。この人の演じた作品に出会えて良かったと心底思いました。

2013年1月某日
辻谷さんに連絡をする。
「厚かましいお願いなのですが、僕1月25日が誕生日なんです。もしお時間宜しければ憧れの辻谷さんとサシで飲みたいです。」
こういう我ながら信じられないほど厚かましいお願いの連絡をしました。すると辻谷さんは「そうか、いいよ。」と言い大先輩が経営するあの店へ。夢が叶うとはこのことか。後はこのブログの過去記事に記載された通り、犬夜叉関連で高橋留美子先生が落書きした本革のZippoをいただきました。あの時辻谷さんは「俺よりロアの方がこのZippoを大事にしてくれそうだ。」とクスリと笑って仰いました。そしてブログに綴っていなかったのですが、この話には続きがあります。
辻谷さんはこう続けました。

辻谷「ロアさ、お前このZippo一生大事にするだろ?それはいいんだよ。俺もロアがそうすると思ってる。でもな、いつかこのZippoを俺がロアに渡したように誰かに渡しなさい」
ロア「え?嫌ですよ(笑)家宝ですもん(笑)」
辻谷「ダメだ。物に執着するな。俺に憧れて声優なっただろ?で誕生日に俺が隣にいるだろ?お前は辿り着いたんだよ?夢を追いかけて東京のこの場所まで来たんだよ」
ロア「はい!」
辻谷「だからさ、もしロアがこのまま頑張り続ければ必ず[ロアさんに憧れて声優になりました]ってヤツが現れる。そして今日ロアが俺にしたような思いを伝えてくる。そいつの思いがもしロアに届いたなら、、、このZippoを俺の話をしてから渡してほしい。渡すじゃない。思いを継いでいってほしい。これってさ、本気のヤツにしかできないだろ?そんな思いを持つ俺たち、そしてこれから現れる誰かに[物]は必要ない。[物]はその目印でしかない。俺がヨボヨボになったらロアに聞くよ(笑)あのZippo、今は誰が持ってるんだ?ってね(笑)」
ロア「わかりました!自分、頑張ります!そしてその誰かが現れるぐらいの影響力あるほどの表現者になれるよう、まだまだ邁進します!」


辻谷さん、、、あのZippoまだ僕が持ってます。
40歳になろうとしていてまだそのような影響力はありません。
でも、5年前より環境は良くなって少しは成長できたかも知れません。

辻谷さん、、、ヨボヨボになってでも生きててほしかった。あのZippo○○が持ってますよって還暦迎えた自分と76歳になった辻谷さんとそんな話をしたかった。

辻谷さん、、、まだまだ僕は夢を追いかけます。
本当に本当に淋しくて、この文章書きながらボロボロ泣いてしまってね、もう目がフタエか何エか分からないくらいです。だってもう会えないんですよ。あなたの演技が、声が、歌が、もう聴けないんです。もう辻谷さんと立木さんと笠原さんのライブ、もう見れないんですよ。あのライブ一生の思い出です。

辻谷さん、、、共演したかったです。切なすぎる。



あなたは
何もなかった僕に3×3EYES、藤井八雲というキャラを通して夢になり憧れになり
30歳の時、声優になるという勇気のキッカケになってくれました。
そして出会った時、モロにファン丸出しの僕に優しく接していただき、それだけでなく素敵なプレゼントと共に
今まで自分に無かった価値観と考え方、生き方を教えてくれました。
何よりも単純にカッコ良かった、渋かった、素敵だった
母が言っていた「一握りの中のさらに指一本に残る人」
それが辻谷耕史さん

たくさん、たくさん、素敵なキャラを演じていただきありがとうございました。

たくさん、たくさん、夢中になってアニメを観ました。
あなたは僕の永遠の憧れです。青春です。


辻谷さんが生きている時代にこの国で育って良かった。

辻谷耕史さん、沢山の事をありがとうございました。
ゆっくりお休み下さい。

僕たちは、辻谷さんの思いを引き継いで
次の世代に夢を伝えていきます。

何回も綴りますが
涙が止まりませんが
あなたは永遠の僕の夢です!
ありがとうございました!

本当に本当にありがとうございました!


R.I.P.