まずはこの炎天下のなか、高校球児の甲子園での熱戦は涙をさそわれます。本当に感動をありがとうと伝えたいです。

 さて、昨今高校野球については肘や肩の故障で夢を絶たれいった例が少なくありません。月刊『正論』にも特集されており、高野連やメディアについて、大変厳しい特集が組まれていました。そこで、私の意見をこの場で伝えていきたいと思います。

まずはベースボールと野球の歴史について考えていきたいと思います。

 『ベースボール』。アメリカでは地元消防団のレクリエーションとしてスタートしました。河川敷などの野原で、打って楽しむものでした。その為、投手は上投げではなく、下投げ(ソフトボールのような感じ)でいかにバッターが打ち、楽しむものでした。

 次第にアメリカ国内で普及をし、徐々に楽しむものから、プロ意識を持ち、魅せるものへと成長していったと言われています(下から上)。
 一方『野球』について。日本に野球が伝えられたのは、明治初期。ホーレスウィルソンが伝えたと言われています。ホーレスウィルソンは東京大学の先生でした。当時の東大生に教えたのが最初と言われています。このときの時代背景は幕末からの内戦乱期。日本国内は殺伐とした雰囲気だったと思います。そこで、『野球』が伝わったのです。恐らく時代背景から、アメリカのレクリエーションとは程遠く、東大という教育機関に『野球』が伝えられたこと、ここが『ベースボール(魅せもの)』と『野球(教育)』の最大の違いと言われています。日本は大学を見よう見まねで高校野球、中学野球と普及していきました(上から下へ)。
※アメリカとは逆の普及。
 簡単に言えば、アメリカは打つことを楽しむベースボール。日本は犠牲的精神のもと、いかに守るかという野球。それが顕著にわかるのはカウントです。
アメリカは
B 🌑🌑🌑
S 🌕🌕
O 🔴🔴
というように、打者優先のボールカウントを使っています。

一方日本は
S 🌕🌕
B 🌑🌑🌑
O 🔴🔴
というように、投手優先のストライクカウントを使っています(いつのまにか日本もボールカウントになってしまいました)。

 さて、この歴史を大前提に考えていかなければなりません。今の高校野球は、教育委員会の下、まさに古きよき『野球』だと思います。送りバント、球場内での全力疾走、ヘッドスライディングでユニフォームを泥だらけにする姿、悔し泣き、嬉し泣き等、まさに日本人精神が残された『教育』だと私は考えています。アメリカのレクリエーション『ベースボール』とは全然違います。これを朝日新聞が主催となって、高校野球(日本人の犠牲的精神)を美化しているのも何か不思議な気持ちがしますが...。

 私は中学野球、高校野球の指導経験もありますが、大体この選手は大学でも活躍できるとか、プロで十分活躍できるとか、高校がピークであるというのはわかります。そうしたなかで、特に優秀な投手については起用方法を十分に注意しなければなりません。私は、プロに行って十分に活躍できる選手であれば、例えば大船渡高校の佐々木投手のような逸材は、高校野球で無理をさせてはいけないと考えます。一方で、プロで活躍できるかどうかわからない(微妙な?)選手であれば、言い方が冷たいようでありますが、高校野球という教育機関で、『忍耐』『我慢』など日本人精神を限界まで学ばせるべきだと考えます。つまり、投手には限界まで連投させれば良いと考えます。

 少々長い文章となりましたが、高校野球は青年期に肌で日本人精神を学ぶことができる残り少ない教育機関であると思います。アメリカの『ベースボール』はいわゆる魅せものであるため、それと『野球』を混同してはいけません。その為、肘肩の故障とか休養日が必要だとか、メディアが美化しているとか、そんな意見を言う人にはまず『ベースボール』と『野球』の違いから学んでほしいです。

 今、いろいろな意味で世間を賑わしている朝日新聞とNHKには、この夏もう少し頑張っていただき、十分高校球児の活躍を連日報道していただき、日本人精神の復活を心からのぞみます。

 引き続き、高校野球が発展していくことを心からご祈念します。