皆様おはようございます。

松戸市議会議員大塚けんじです。

 

お陰様で無事に出産が終わり、心身共に落ち着いてまいりました。

たくさんの方から激励のコメントをいただきましたこと、また様々な場でお声掛けいただけましたこと、本当にありがとうございました。

大変失礼ではありますが、この場にて御礼にかえさせていただきます。

 

さて、今回は第二子出産に至るまでの、私の回想録を数回に分け、書かせていただきます。

長文になりますが、是非ともお読みいただければと存じます。

妻の出産予定日は3月10日。

『第二子は予定日よりも早く産まれる・・・・』と聞いたため、臨月に入る2月中旬からいつ産まれてもいいように準備をしていた。

私は今回の出産、どうしても立ちあいをしたかった。

 

第一子の出産を振り返る。

平成25年9月14日。

それは分娩室での出来事。

妻は私の立ちあいのもと、分娩室で出産を控えた。

妻はそれほどの痛みも感じず、しっかりと呼吸もでき、助産師から『大塚さん上手ですよ~』と出産に心配がなかった。

現に、お手本のようだったのか、分娩室で録画ビデオを回していた。

しかし、ある時を境に状況が一変した。

急に助産師が慌てだして、なんか様子がおかしい。

まもなく医師が1人分娩室に入ってくる・・・。

医師と助産師がヒソヒソ話をする。

妻と私は状況が全くわかっていない。

妻の陣痛は続いている。

今度は数人の医師が分娩室に入ってくる・・・。

その異様さに妻も私も胸が締め付けられる。

当然録画ビデオはストップされる。

しばらくして、医師から告げられたのは、

医師:『このままだと呼吸困難で赤ちゃんの命に関わります。ただ赤ちゃんはすぐそこまできているため、今回は吸引分娩をします。吸引分娩は3回まで。3回しても出てこなかったら、帝王切開になります』

医師:『それでいいですか?』

私と妻:『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

しばらく考えて、

私と妻『お願いします』

 

妻はどうしても自然分娩をしたい。その想いが私には伝った。

しかし、私は何にもすることができない。

『頑張れ』という言葉もこの状況には適さない。

この時、私は無力だなぁと感じた。

 

妻の吸引分娩の準備が進む。

妻のお腹の上には数人の医師が乗っかり、妻のお腹を押す。

妻の子宮口にはたくさんの機材が繋げられる。

 

吸引分娩1回目。

医師:『せ~の~』

赤ちゃん:『(産声)・・・・・・・・・・・』

 

無事に第一子が産まれた瞬間だった。

妻と私は涙を流して子の誕生を喜ぶ。

『無事に産まれてきてくれてありがとう・・・・』

 

というような感動的な立ちあいだった。

だからこそ、今回も立ちあいをしたいと思った。

 

(第一子の長男。現在2歳6か月。こんなに大きくなりました!)

 

そんな2月中旬。一日一日緊張した気持ちで過ごしていると、私の目に飛び込んできたのが、宮崎議員の議員辞職のニュース・・・・(第2回に続く)