中山道歩き旅14日目、今日は大家宿から日本橋まで、3宿32kmの旅であった。最終ゴール地点の日本橋にたどり着き、ついにこの旅も終りを迎えた。






京都三条大橋を、家族に見送られながら出発したのが8月9日。そこから14日間という長きにわたった旅。今日8月22日、ついにゴールを果たした。ゴールした時には、歩き切ったという達成感と、旅が終わってしまった寂しさが混じり合った、複雑な気持ちであった。


中山道最後の宿場町は板橋宿。ここは私の生まれ育った場所である。京都から中山道を歩き続けて、地元本蓮沼駅や出身中学校を見た時は、ゴールに辿り着いた時以上の感慨深さだった。「京都からここまで、道はつながっているんだ」と。








残念ながら、地元板橋区に入った途端雨に振られた。この度で日中に雨に振られたのは今回が初めてである。雨に濡れたことは2回ほどあったが、一度目の木曽福島宿ではゴール後に夕飯の買い出しをしている時、もう一度は宿泊予定地の本山宿まであと1時間という所で、それもすぐに止んだため、むしろ雨の後の幻想的な風景を見られて良かったと思っていた日であった。


東京に住むべきではない、という暗示のようにも感じられた。正直、岐阜や長野の農村や山村を歩いている時の方が気持ちが良かった。こういうところに住みたいとすら思った。碓氷峠を越えて関東に至ると、空気や水が汚く感じ始めた。人も多すぎて、逆に人と人との関わりができなくなっていくように感じた。人が少ないと道ですれ違う人も「人」として認識して挨拶も交わすが、人が多すぎる関東ではいちいち人を「人」と認識して挨拶でも交わしていては、一歩も前に進めないのだ。すれ違う人など、無視するしか無い。


東京都の教員という仕事を辞める決心はなかなかつかないが、できることなら人を「人」と認識できる場所で生きていきたい。東京に戻ってきて、そんな思いが強まってしまった。


旅の途中でも多くの「人」と関わることができた。民宿やペンションで優しく話を聞いてくれた方々、宿場町の資料館やお店などでこの先の道の様子について丁寧に教えてくださった方々、道ですれ違っただけなのに挨拶をしてくれたり「歩いてるの?頑張って」と声をかけてくれたりした方々。そしてもちろん、一緒に歩いてくれたり夕飯だけでも会ってくれた人たち。こうした人たちのおかげて、この旅は本当に思い出深く楽しいものになった。


大切なのはどこかに行くことよりも誰かと会うことである。どんな景色を見ても、どんな歴史的遺産や文化財を見ても、人と会わなければ本当の良い思い出にはならない。


以前東海道を歩いた時にはこのことに気づいていなかった。だからただ歩き切ることが目的になっていた。しかしそれでも、一番思い出に残っているのは京都から東京まで歩いているうという大学生二人組との出会いである。


正直、人と関わるのは苦手だ。人見知りもするし、話しかけたり雑談を続けることも苦手だ。しかし青年海外協力隊への参加を決めた頃から、少しずつ人と関わることができるようになってきたように思う(自分なりに勇気を出して変わろうとしたつもりだ)。


だからこそこの旅でも(自分にとっては)多くの人と関わることができ、だからこそ旅をよい思い出にすることができた。自分の成長も感じたし、関わってくれる人がいることのありがたさも感じた。


学び多き旅だった。この旅に関わってくれた人たち、本当にありがとうございました。