隨分と遅くなってしまいましたが、2023年3月21日、青年海外協力隊として2年間の任期を終え、無事日本に帰国しました🇺🇬✈🇯🇵
この2年間は日々得るものが本当に多く、「あっという間」というありきたりな表現では言い表せないほど一瞬で終わってしまったように感じました。
こんな風に感じられたのは、この2年間で出会ったたくさんの人のおかげです。
日本人、ウガンダ人。たくさん助けてもらって大好きだった人、たくさんムカついて喧嘩して大嫌いだった人。隊員、事務所の方々、派遣先の先生たち、そして一緒に学んだ生徒たち。
すべての人に感謝の気持でいっぱいです。本当にありがとうございました!
さて、帰国後は4月から元々の仕事である東京都中学校の社会科教員に戻りました。
ウガンダでの経験を東京の生徒たちとシェアし、世界について、未来について、一緒に考えを深めていきたいと思っています。
また、JICAの実施する出前講座の講師も、細々とやらせてもらっています。話を聞いてみたい!と思ってくださる方がいれば、ぜひご指名くださいませ👐
帰国して感じること
帰国して4ヶ月が経ちました。この4ヶ月間帰国記事をかけなかった理由は…
そう、あまりに忙しくて全く時間がなかったから。
帰国して感じることは色々とありますが、1番はこの「忙しさ」です。
7:00に出勤して1日の仕事を始める準備をして、学活をして授業をして給食指導をして授業をして学活をして掃除をして生活指導もして途中で会議も入ってきて、一息つくのが退勤時間の16:45頃。
ここから事務仕事とか採点とかをしていたら、あっという間に20:00とか。13時間労働が当たり前の毎日…
こんな感じで平日を過ごすので、授業準備は土曜日に。日曜日にはようやく一息つきながら家の掃除や洗濯をしていたら1週間が終わって、また怒涛の毎日が始まる。
日本の学校はブラックだ、とよく聞きますが、これがブラックな学校の実態です笑
※学校が嫌なわけではありません。仕事は大好きだし、同僚にも面白い先生がたくさんいるし、生徒たちはいい子たちばかりで本当に助けられています。授業をしている時間が1番の息抜きというくらい。
忙しさ=余裕の無さ
これだけ忙しいと、時間に余裕がなくなってきます。
疲れて帰って、シャワーを浴びたら10時すぎ。朝は5時半に起きて6時半に家を出て…
なので、仕事以外のことをする時間的余裕が全くありませんでした(夏休みに入って、少し余裕が出てきたのでこれを書いています)。
そして、時間に余裕がないと体の余裕もなくなってきます。
疲れが溜まって起きる時間が遅くなり、帰ってもシャワーを浴びに行くだけの体力の余裕がなくてソファで寝落ちしてしまったり。
そういう体の余裕の無さは、心の余裕も失わせます。大したことじゃないのにイライラすることが増えてしまったり、イライラしている自分にイライラしたり。
忙しさは、こうやって僕から時間・体・心の余裕を奪っていきました。
※一人暮らしを始めてからのほうが辛かったかも。協力隊員の皆さん、帰国してしばらくは、家事とかをやってもらえる実家暮らしのほうがいいかもしれません。
ウガンダでの生活を振り返ると
今振り返ってみると、ウガンダでの生活にはたくさんの「余裕」があったな、と感じます。
授業は1日2〜3時間だけだったし、授業がない時間には家に戻って授業の準備や語学などの勉強、やりたい活動の企画なんかができた。
ゆっくり本を読む余裕もあったし、週に1本ブログ記事を書く余裕もあった。
朝は5時半に起きて水汲みに行かないといけなかったけど、夕方6時には夕飯を買いに街までお散歩に行く余裕もあった。
夕飯を買いに行く途中では色んな人に挨拶したり、夕日を見て「きれいだな〜」と思ったりする余裕があった。
お店の準備がまだだったら、おしゃべりしながら火起こしを手伝う余裕もあった。
例えば今、どこかのレストランに行って「まだ準備できていないから手伝って!」なんて言われたら、ブチ切れてそのお店から出ていってしまうでしょう。
「忙しさ」のないウガンダ(少なくとも僕がいた街)では、僕も含めてみんなが「余裕」をもっていたような気がします。
歩くのが遅かったり、時間や約束を守らなかったり、ダラダラと(と感じてしまうくらいいつまでも)お喋りを続けていたりするのは、「余裕」があるからこそできることではないでしょうか。
忙しい日本に帰ってきて、自分に余裕がなくなって、この4ヶ月の自分は歩くのも、読むのも、書くのも、話すのも、全てがせかせかしていた気がします。
どっちが「豊か」?
確かに、日本の生活は便利です。
レストランに入ればすぐにお水が無料で出てきて、注文すればすぐに料理が出てくる。
コンビニに入れば24時間いつでも何でも買うことができる。バスも電車も時刻表どおりに動いている。
ATMにお金が入ってないから使えないなんてこともないし、電気や水が止まるなんてあり得ない。
これらは、ウガンダからは想像もできない便利さです。
でも、こうした「お客様にとっての便利さ」のために、働く人たちが忙しくなりすぎているのではないでしょうか?
働く人も、どこか別の場所ではお客様です。働く人として忙しすぎて時間・体・心に余裕がなくなって、だから自分がお客様のときには過度な便利さを求めてしまう。働く人に強くあたってしまう。
そんな悪循環が起こってしまっていないでしょうか?
せかせか働くことで便利な生活を生み出して、結果、余裕をなくしてしまう。果たしてこれって「豊か」な社会のあり方なのでしょうか?
不便でも余裕があって、夕日を見ながらゆっくり歩いたり、時間を気にせずゆっくりおしゃべりしたり、本を読んだり物を書いたり。そういう生活の方が「豊か」ではないでしょうか?
帰国して4ヶ月。こんなことを考えて、ウガンダでの生活が恋しくなっていたりします。
「豊かさ」について、みなさんはどう思いますか?