中山道歩き旅12日目、今日は高崎宿から熊谷宿まで、6宿43kmの旅であった。昨日は長野から群馬へ、今日は群馬から埼玉へと進んだ。東京が、この旅の終わりが近づいてきている。
昨日碓氷峠を越えて関東に入り、今日は1日中平坦な道を歩いた。ついに関東平野に突入、といった感覚である。
平坦な道の、まぁ楽なこと。碓氷峠を越えた昨日と、今日は殆ど同じ距離を歩いたはずなのだが、今日は1時間も早くゴールに着いた。
しかも足の疲れ具合が全く違う。
昨日の最後の方は足を持ち上げるだけで足の裏や足首が痛かった。足を持ち上げると血液が足の裏や足首に流れるのか、毎回ジワーん痛みが広がるのだ。(歩き方が酷かったので、昨日の夕飯に付き合ってくれた協力隊の仲間には申し訳ないことをした。)
しかし今日は、そんな痛みもほとんど無い。もちろん足首は腫れてはいる。足裏の皮も剥け上がってはいる。しかし、一歩歩く度に痛みが足いるということは全く無い。今日の夜にしっかり対策を取れば、明日はかなり楽に歩けるのではないか。
さて、歩いていて感じたこと。都会に入ってきた、という印象がどんどん強くなっていく。
歩いていると、宿場町に近づいてきた、宿場町を抜けた、というのがよく分かるものだ。街を抜けると一気に田んぼや畑が広がったり、山の中に入ったりする。逆に街が近づいてくると、民家が徐々に増えてくる。
岐阜や長野ではこの傾向が顕著だった。しかし昨日群馬に入り、今日埼玉を歩いていると、その区別がほとんどない。どこまで行っても、家、家、家、である。
なぜだろう?と思いながら歩いていた時に、ある家を見つけた。その家は、元々田んぼか畑であったところを、潰して宅地にし、家を立てたのではないか。そしてこれは、どこででも行われていることなのではないか。
人口が増える。住む場所が足りなくなる。田んぼや畑を売るなり自分で潰すなりして、宅地化される。そこに新しい人が住む。埼玉なら東京の職場にも通いやすいし、めでたしめでたし。と、こういう話なのではなかろうか。
しかし、「人口が増えたから田んぼや畑を潰して家にする」では、食料自給率はどんどん下がるではないか(米の自給率だけは高い)。
もっと農地を残さなくてはならない。そのためには、やはり東京一極集中ではいけない。一極集中するから、こうして東京周辺の農地がどんどん宅地化されていく。自然も失われていく。地方移住の推進、”農”をキャリアの選択肢の一つとして現実的なものにしていくこと。東京の社会科の教員として、この2つはとても大事なのではないかと感じた。