中山道歩き旅9日目、今日は下諏訪宿から長久保宿まで、3宿31kmの旅であった。


ついに中山道最大の難所、和田峠超えである。


聞いていた通りの難所であった。諏訪宿をでるとすぐに国道の傾斜がどんどん急になっていく。そして、こんなところを歩く輩などいないのだろう。歩道がなくなっていく。真横を通るトラックにビクビクしながら上っていく。


標高1000m程度までは国道で、比較的すんなりと上れた。「もう1000mか!意外とすぐ終わるのでは?」と思ったのがばかたっだ。ここからが本番である。


中山道と書かれた看板が指しているのは、草むらの中の獣道。本の地図を見ながら進んでいるのだが、しばらくどこに道があるのかわからなかった(間違えてより奥地に入っていく道に入り込んでしまった)。



後で知ったことだが、この道、和田宿を始めとする周辺地域の中山道保存会の方々が時々整備してくれていいるらしい。この道の草刈りや道(ほとんど獣道とはいえ)の保存は、ものすごく大変な仕事だろう。保存会の方々に感謝したい。


何とか道を見つけて、草かき分けて山の中を進んでいく。途中、「江戸初期の中山道」と書かれた今にも崩れそうな道や、笹が生い茂ってもう道が見えないような場所も通過。完全に山の中である。





しかしだからこそ見られる美しい景色もあった。水音を響かせながら流れる沢にそそぐ木漏れ日。苔むした岩や木。沢にかかる小さな木橋も苔で覆われていて、まるでジブリの世界である。そして何より頂上からの景色。山の間からスタート地点の諏訪宿まで見える。峠を乗り越えた、という達成感を感じられる瞬間である。










なぜか下りの道はきれいに整っていた。芝生、石畳、腐葉土。石畳がゴツゴツしすぎていて下りづらかったり(2回位ほど足をくじきかけた)、腐葉土の地面に熊の足跡のようなものが残っていて怖くなったりもしたが、概ね気持ちよく下る。




さて、ここからである。鳥居峠を越えた先にすぐ奈良井宿があったように、すぐに和田宿があるものだと思っていた。が、違った。というか、国道に合流した時点で峠を超えたと思っていたが、昔はまだなだらかな下りが続いていたのだろう。鳥居峠の終了地点(と本の地図に書いてある所)から国道をずっと進んだ先に、和田宿はあった。


和田宿は、江戸時代には和田峠を控えた宿場として大いに賑わったようだが、今日では小さな村である(小さな個人商店に「よろずや」と書かれているのが、「コンビニ」という言葉よりも似合っていて良かった)。






しかし、和田宿本陣はしっかりと保存されており、中の見学もできた。和田宿周辺で出土したものが並べられた展示もあり、充実した内容であった。個人的には位の違う人が乗る四種類の駕籠が並べられていた展示が興味深かった。






またいくつかの資料館もあり、中山道や旧石器時代の展示が行われていた。このあたりは和田峠で黒曜石が取れることからか旧石器時代の石器が多く出土するらしい。


そこからそう遠くない場所にあったのが、今日のゴール、長久保宿である。こちらも宿場としてはあまり残っているものは無いが、静かな山村である。早めに着いたので宿でゆっくりこの記事を書いているが、本当に虫と鳥の鳴き声しか聞こえない。エアコンもないが、通り抜ける風が涼しくて気持ちいい。こんなゆったりとした時間を過ごせることは、東京ではなかなかないものだ。地方への移住もいいな、と考えてしまうほどである。


〜今日の記録〜