引っ越しをして、本来の家で生活を始めるにあたって、いくつか不満を感じることがあったのでまとめておきたいと思います。
※僕が感じた個人的不満です。ウガンダ全体が(もしくはアフリカや途上国が)すべてこうだと言いたいわけではありません。僕の感じた「感覚の違い」や困り感が、日本で読んでくれている人たちに伝わって、異文化理解の一助になればと思っています。
言ってることとやられるが違う
具体例①
工事中、「明日は何時から?」と聞いて、「9時からだよ」と言われることが多くありました。でも、9時に行ってみると誰も来ない…1時間遅れとかで来るならまだいい方で、結局午後からとか、その日は一日中来ない、なんてこともありました。翌日聞くと「昨日はペンキを乾かす日だったからね」と悪びれる様子もなく答えが返ってきます。こっちの気持ちとしては「なら最初からそう言ってくれよ!」という…
具体例②
①と同じケースなのですが、工事を管理してくれている教頭先生が隣に住んでいます。その方に「9時って言われたけど、工事の人はいつ来るの?」と聞くと、「ごめんね、電話してみるね」と言ってくれました。そして電話の後「もう向かっているみたいだよ」と教えてくれるのですが、結局工事の人は来ず。夕方ごろにもう一度確認すると、「今日は工事はないよ」と…そしてこれが一回だけではないのです。何度もこのようなケースがありました。
具体例③
家の家具を、教頭先生がお勧めしてくれた近所のカーペンターに注文しました。注文したのは12月15日あたり。「家が完成したらすぐに運べるように作っておくね」と言ってくれたので安心していたのですが、年末に再確認すると「お店に完成品を置いておくのは嫌だから、まだできてないよ」と… 催促すると「じゃあ1月4日か5日には完成するように作るよ」と言ってくれました。しかし…4日になっても5日になっても家具は届かず。5日の夜に何度も何度も繰り返し電話をして、ようやくベッドだけは届けてもらいました。その際「机は6日、椅子は7日」と言われたのですが、6日に何度電話しても出ず。結局机が来たのは7日の夜。しかも教頭先生から最速の電話をしてもらってようやく。椅子が来たのはなんと15日の夜でした。
☆言ったらやる、できないなら言わない。日本人ならこうすると思うのですが、ここでは口約束は一切信用できません。ほぼ守られません。「期日」なんてものを気にしてはいけないのかもしれません。
人の物を勝手に使うのが当たり前。
具体例①
ゴミ箱として使おうと思って買ったバケツがありました。工事中、それを家の外の倉庫(自分の物を置いておくために借りた場所)に置いておいたのです。そしたらなんと、工事の人たちが勝手にコンクリートを練るために使い、ペンキを塗るために使い、ドロドロのベタベタにされてしまいました。明らかに新しくきれいなバケツ。自分の物をまとめておいて、何なら中にも荷物を入れておいたバケツ。それを勝手に使われて、しかも工事後も汚されたまま放置されるなんて、思ってもみませんでした。
具体例②
トイレ掃除用に買っておいたブラシがあります。家の完成後、トイレに持っていく前に少しだけ家の外に置いてあったのですが、トイレに持っていった直後、お隣に住む教頭先生から「あのブラシはどこに行った?俺も使うんだけど」と、当たり前のように聞かれました。「あれは俺がトイレ掃除用に買ったものだから、トイレにあるよ」と答えると、不満そうに「俺も使いたいんだけど」と再び。こちらも嫌そうな顔をしていたら、ようやく引き下がりましたが、当然のように使われていたこと、不満そうな顔をされたことにはかなり腹が立ちました。
具体例③
家の壁を塗るためのペンキが余っていたので、それを使って床の塗装をしました。それを窓の外から見ていたのでしょう。例の教頭先生が「そのペンキはオフィスを塗るのに使うんだから無駄にするなよ!」と言いに来ました。いやいや、これはこの家のためにJICAが注文したもので、オフィスを塗るために買ったものではないでしょう。なんであなたが勝手に使い道を決めているの。「無駄じゃないし、このペンキはこの家のためのものだ」と言い返しました。「でもこれの金は学校が出している」なんて言ってきましたが、見え透いた嘘。JICAがお金を出してくれているのは確認済みです。「いや、JICAが出しているはずだ」と伝えると、またしても不満そうな顔をして出ていきました。
☆多分「所有権」という感覚が薄いのではないかと思いました。日本では「私の物は私の物、あなたの物はあなたの物」とはっきりと分かれていると思うのですが、ここでは「使えるものは使っていい」「すべてはみんなのもの」という感覚なのかな、と思います。
掃除は工事の仕事じゃない
具体例①
水浴び場のタイル敷設工事をお願いしたときのことです。その時にはすでに水浴び場の壁のペンキ塗りは終わっており、きれいな状態でした。タイルを張ってもらえば完成で、さぞかしきれいになるだろうと思っていたところ…工事の過程で、なんと壁に大きな穴が。何かの道具をぶつけて、壁のコンクリートごと削ってしまったようです。一言謝罪があればまだいいのですが、気づいたときには後の祭り。仕方ないので自分で新しいコンクリートを練って、塞ぎなおしました… 穴までいかなくとも、壁には泥の手形がたくさん。ペンキも自分で塗りなおす羽目に…
具体例②
ほぼすべての工事が終わり、あとは天井の電気設置だけ。でもなかなか電気工事が来てくれない、という状況でした。入居まで間もなかったこともあり、あきらめて先に掃除を手伝ってくれる人を呼んで、一日がかりで大掃除をしました。ようやくきれいになり、これなら住めるだろうと思っていたところで、電気工事の連絡。これで完璧と思っていたら…確かに電気はついたのですが、天井に穴をあけた際に出たコンクリートのかけらや砂埃がすべてそのまま。しかも泥の足跡までくっきりと残っていました。せっかく一日がかりで掃除したのに…と、とても悲しい気持ちになりました。
☆「タイルを張る」が仕事で、その仕事をすれば後は関係ない。「電気をつける」が仕事で、その後始末や掃除は仕事じゃない。こういう感覚があるのだろうと思います。日本でこの感覚で仕事をしたら、すぐにクビになってしまうでしょう。「家をきれいに仕上げる」が仕事だという感覚があるからだと思います。改めて日本のホスピタリティの高さを思い知らせれました。
と、たくさん不満を書いてきましたが、これはきっと「感覚の違い」の問題。郷に入っては郷に従えとも言いますし、僕がこちらの感覚に合わせていくしかありません。
これこそ「異文化理解」の経験学習。派遣前訓練で「『好き』になれなくてもいいから、『平気』になれ」と教わりました。まだまだムカついてしまうことが多いし『平気』への道のりは長いかもしれないけど、なんとか慣れていきたいと思います。
逆に日本にいる外国の方々は、日本の感覚に合わせるのに苦労しているんだろうな。お互いに「感覚の違い」に寛容になっていきたいものですね。
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