書評の感想 脱社畜ブログ 「『ノマドと社畜』:ノマド論の白眉」を読んで | 渋谷で世界一周

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2015年2月12日 ブログ

「『ノマドと社畜』:ノマド論の白眉」を読んで

「何よりも必要なものは高度な専門性と、引き受けた仕事を完遂するというプロ意識である。」

 この言葉で、低度な専門性、引き受けた仕事を先延ばしし、未完遂にする甘意識を持ち合わせていることに気付いた。

上級執行役員とかいう役職があるけど、低級シッコ役員なんてあったらいいなぁ。

低級という専門性ってあるのかなぁ。

バカ学バカ科とか。

低俗文化研究所なんて 3S政策にマッチするかも。

でも、これってそのままテレビ番組にあてはまっちゃう。

「低俗文化研究所」で検索したら「放送文化研究所」が出てきた。
しかも、そのページはNHK放送文化研究所だった。


テレビ時代初期に議論されていた「テレビ論」を再読する本シリーズ。3回目は、制度論を取り上げる。

1950年代後半、テレビの普及を受けて「低俗番組」批判が起こり、それとともに放送制度の見直し論が広がった。議論の焦点は、ラジオ時代の制度にどのように手を加えれば、テレビ番組の質の向上につながるかという点であり、当初は、番組そのものに対する規制の強化を中心に検討が進んだ。そして、1959年の放送法改正では、番組準則に「善良な風俗」条項を加えるといった制度改正がなされた。

しかし、そうした対症療法的な規制強化に対しては、「表現の自由」との関係から問題が多いという批判や、実際に効果が上がるのかといった疑問が上がった。こうして、1960年代以降の議論を通じて、放送制度の専門家や郵政省事務当局、放送事業者の間では、番組内容の適正化を図るためには、行政による直接的な関与を避けつつ、番組に関する世論調査機関を設置して放送事業者の自主規制を促すなど、より間接的な手法をとる方が好ましいという考え方が広まっていった。
一方で、そうした認識は必ずしも幅広くは共有されず、放送事業者の不祥事などをきっかけに番組に対する直接的な規制を求める構図は、現在に至るまでしばしば繰り返されてきた。そうした意味で、テレビ放送初期の議論を振り返り、その成果と限界を確認しておくことは、放送制度をめぐる議論を行う上で踏まえておくべき前提になると考えられる。

メディア研究部 村上聖一


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谷本真由美

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谷本真由美



 amazonより

情報通信コンサルタント、著述家。


Twitterでの呟きをきっかけにブログ、オンラインメディア等への執筆を開始。約45000人のフォロワーを抱え、SAPIOにより「ソーシャルメディア界の保守系著名人」に認定される。著述業が本業、もしくは無職だと思われることが多いが、本業はITガバナンス、プロセス改善、ITサービス管理、通信業界の市場調査等である。また、Twitterの呟きから50代男性だと思われることが少なくないが、名前が示す通り生物学的性別は女性である。


Syracuse Universityにて情報管理学と国際関係論の修士を取得後、ワシントンDCのロビーストを経て、日本のインターネットベンチャーに勤務。事業企画担当としてオンラインコンテンツビジネスの買収、創業に関わる。戦略コンサルティングファームにて電子政府、インターネットメディア等のコンサルティングに従事後、イタリアの国連専門機関に情報通信官として勤務し、アフリカや南米中心に86カ国に及ぶ地域への情報通信サービス運用に関わる。一時日本に帰国し外資系金融企業のITサービス管理に従事。現在ロンドン在住。公認システム監査人(CISA) である。