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本日花金でございます。(古いか!?笑)

 

今も週末はイベントかサッカーかっていうのがほとんどなので、金曜日やしパーっといこう!!なんてことないけど、プロサッカー選手だった時ももちろん基本は金曜日なんて試合が近い日なので緊張感とか気持ちの高まっているところなので、街に出てパーっと行こう!みたいな気持ちになるわけなく、サッカー選手に限らずだけどスポーツ選手って一般的に多くの人たちが休みの時が頑張りどきで、多くの人が頑張り始めた時にオフを迎えてるっていう職業ですね。

 

そう思うと応援してくれる人たちの存在って改めて本当にすごいと思うし、なくてはならない存在ですね。

 

例えば大分トリニータに在籍していた時は、関東で試合があればナイター以外は最終便の飛行機とかで帰ったりした経験が何度もあるんですが、羽田から北九州空港への最終便が1番遅い時間まであって、北九州空港→バスでクラブハウスという流れで帰ると、トリニータのクラブハウスに到着するのが夜中の12時余裕で超えたりするくらい遅い時間なんですが、九州とか四国とかは特に移動が大変だった思い出があります。

 

応援してくれる皆さんもほとんどの方が同じような移動手段だとすると、次の日が仕事だったりすることを考えると本当にすげーって思いと感謝しかありません。

 

移動といえば、ヴィッセル神戸の時は “当時は” ですが新幹線が距離によってグリーン車になったりと、グリーン車の経験は僕はヴィッセル神戸の時だけでしたね。

 

鹿児島ユナイテッドFCの時はJ3で東北のチームが多かったので、鹿児島空港→羽田空港→東北のどこかの空港という乗り継ぎが結構ありました。

何より遠征時は鹿児島空港現地集合は経験なかったのできつかったですね笑

 

水戸ホーリーホックは今はどうかわからないですが、当時は羽田空港までバスで移動するんですが、道中の高速道路が高確率で渋滞するのでそこまでがすごく長く感じたのを覚えています。

新幹線の時も東京駅までバスだったので同様でした。

 

カマタマーレ讃岐の時は当時はケーズデンキの駐車場駐車、集合(もちろん許可を得て全体で駐車場使用)、そこからバスで公共機関へ移動だったし、チームスタッフの方運転のマイクロバスで高松空港や岡山駅への送迎の時代もありました。(これは狭いしクーラー効かないしでなかなかきつかった笑笑)

岡山駅へ向かう途中でマイクロのタイヤがパンクして急遽電車で岡山駅まで向かったこともあったなー笑

 

こう思うとカマタマーレ讃岐時代は笑えるエピソードが満載かもしれません!

もちろん当時は笑えないこともあったけど、今となってわって思えるってことは当時は当時なりに楽しんでたんだと思うし、困難を笑いに変えたり前向きに進めるチームの雰囲気もあったなと思います。

またこの金曜日の回はカマタマーレの思い出話が出て来そうですね笑

 

MIND PLUS⁺ 馬場