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9月に入り最初の月曜日です。

 

僕のサッカー人生を長々と書いてる曜日です笑

今日は24歳、J2年目ですね。

 

24歳(プロ2年目)

Jリーガー2年目のヴィッセル神戸は大久保嘉人さん、レアンドロという超強力2トップが移籍したりブラジル人のカイオ・ジュニオールが監督になったり、元日本代表キャプテンの宮本恒靖さんが来たりと大きな変化の中でのスタートとなりました。

1年目と同様グアムキャンプからのスタートとなり、そこでのプレーとプレシーズンマッチのプレーを評価され、京都サンガとの開幕戦にスタメンで起用されます。

残念ながらチームは負けてしまいましたが、個人的にはフル出場でチャンスメイクもできてアピールのできた開幕戦になりました。

(ブラジル人FWのマルセウに出した決定的なパスをゴールしてくれていたら、マルセウ本人もJリーグでのプレーの流れに乗れていただろうし僕自身ももっと存在をアピールできたのかなーと思っています。それは決めんかーいって思ったの忘れられない笑)

 

そこからはスタメンで出たり途中から出たりと試合には絡みながらも主軸の選手とまではいかずのシーズン序盤でした。

それでも2009年5月23日13節ホーム柏レイソル戦でJリーグ初ゴールをやっと決めることができます。

 

しかしやっとここから!というときに監督のカイオが中東へ電撃移籍します。

 

プロサッカー選手の結果は全て自分の力であり責任なんだけど、もっと長くカイオの元でサッカーできたらどんな選手になっていったのかなーということは何回も考えたことがあります。

それくらい僕にとってカイオと、一緒にコーチとしてきたアウミールの2人は新しい景色と考え方を持たせてくれた存在だったので、もう少し長く一緒に仕事がしたかったですね。

 

そこからの自分は散々なシーズンになります。

新しい監督が来てからはほとんどの試合でメンバー外、練習試合で2試合連続でハットトリック、その次の練習試合でも2得点してもメンバーにも入れず。

FWは大きい選手か速い選手が試合に絡むことがほとんどで、大きくない足の遅い僕は完全に構想外でした。

 

来シーズンも監督続投が決まり、このままヴィッセルに残ってもチャンスはないだろうなと思いながら、来シーズンどうしようと悩んでいる時に10年ぶりにJ1へ昇格した湘南ベルマーレからまさかのオファーが届きます。

 

後から考えるともしかしたらあれがきっかけになったのかな?ということがあって、ベルマーレが昇格を決めた時に関係者の人にお祝いの電話をしました。

今までも付き合いのあった人だったので、ただただおめでとうございますを伝えたくて連絡をしただけでした。

今思うとその電話で、「お前は調子はどうなんだ」、「頑張ってるか」という会話の中で、シーズン途中からなかなか厳しい状況ですっていう話を漠然としたのを覚えていて、少なからずオファーを出してくれるきっかけになっていたのかなと思っています。

 

ヴィッセル神戸に僕を連れてきてくれたスカウトの幸田さんとも沢山話をして引き留めてくれました。

あの時の僕はヴィッセルでの現状も踏まえてベルマーレにほとんど気持ちが傾いている中で、幸田さんと話をしたときにこれだけ選手のことを思ってくれる人がいることが本当に嬉しかったし、その後移籍してしまうけどこの人にヴィッセル神戸に呼んでもらえて、ついて来て良かったと心底思いました。

クラブとしてもまだこれからの選手ということで来年は戻ってくるようにという形で移籍の話が進み、レンタルという形で正式に中学2年生ぶりの湘南ベルマーレへの復帰が決まります。

 

またまた長くなったので、Jリーガー3年目、またまた激動の1年は来週です。

 

最後にカイオ・ジュニオールについて。

 

2016年11月28日。

 

試合に向かうブラジルのサッカークラブ、シャペコエンセのスタッフ、選手は墜落事故の飛行機に搭乗していました。

そしてそのシャペコエンセの当時の監督がカイオでした。

アウミールもシャペコエンセのスタッフでしたが、その試合には帯同しておらず搭乗していませんでした。

 

シャペコエンセの関係者50名が亡くなり、残念ながらカイオも含まれていて「シャペコエンセの悲劇」でカイオ・ジュニオールは亡くなってしまいます。

 

当時のブログ載せておきます。

 

改めて、カイオありがとう。

ゆっくり休んでください。

 

 

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