今日は月曜日なので先週の続きをいきましょう。

 

先週は初回だったので、7歳からの自分のサッカー人生を振り返ろうって始めて、18歳高校3年生までいきました。

 

いよいよ生まれてからずっと育った平塚を出て、まさかまさかの関西大阪での大学生活がスタートします!

 

19歳(大学1年生) 桐光学園から近畿大学法学部へ進学。この法学部というのが後々僕を苦しめることになる、、、(実際は自分が全て悪いのだが)

大学に来て知ってる人はほとんどいないし色々な名門の選手が多かったけど、桐光学園の先輩が近大にいたことと桐光学園もなかなかの選手の集まりだったのでビビらず入部できたけど、最初は関西弁にカルチャーショックを受ける笑(しかし1週間も経たずに慣れる笑笑)

Jクラブの育成育ちも多く、有名高校の選手も多かったけどなんでかラッキーなことに開幕戦から出場機会を得て、2節目からはずっとスタメンで出場する。

しかし2部へ降格が決まり2年生は2部での戦いになる。

個人としては関西の新人賞を受賞して、本田拓也と関東と関西でお互い新人賞取ろうという約束を果たす。(彼ももちろん受賞)

関西選抜選出。

1年の時はボランチとしての出場がほとんどだった。

 

20歳(大学2年生) 2年生の1年間の2部リーグでの戦いは、当時の2部リーグはまだまだ大学によって力の差が非常に大きく正直1年の時の1部リーグに比べてやり甲斐のないリーグだった。

そんなことを言いながらも結局最後ギリギリで1部復帰を決める。

2年生になり、より中心選手として試合に出させてもらい続ける。

2部リーグベストイレブン、関西選抜としてデンソーカップ出場。

2年の時はサイドハーフでの出場が多く、攻撃的なプレーが増える。

 

21歳(大学3年生) 1部復帰即前期関西リーグ優勝、アシスト王、ベストイレブン、インカレ出場、関西選抜、デンソーカップ出場。

副キャプテンも務めて個人としても充実の1年になる。(ちなみに3年の夏に今の妻と出逢います笑)

3年になるとボランチ、サイドハーフどちらかでの出場が多く、アシストが増えた。

 

22歳(大学4年生) プロサッカー選手の夢を叶える1年。

関西リーグは7位で終えるも年間最優秀選手賞と得点王を受賞。

総理大臣杯出場、大学日本代表としてユニバーシアードに出場(4試合2得点)、近畿大学、関西選抜でキャプテンを務める。

4年ではボランチ、サイドハーフ、さらにセカンドトップまで色々なポジションをやり幅を広げる。

他でも書いたが計4つのJクラブの練習参加をしてヴィッセル神戸からオファーをもらい入団を決意。

ちなみにヴィッセル神戸からはボランチとしてオファーをもらい、FWとしてJリーグデビューする少し前まではボランチとしてプレー。

 

大学4年間はガラッと環境を変えての生活だったけど、結果的に自分に合っていた環境だったのかなと思うし、何より自由に怖いもんなしに伸び伸びとサッカーをやれたことが大きな成長のきっかけになったのかなと思います。

正直プロになってもっと大学の時にこうしておけば良かったと思うこともあったけど、それでもそれ以上にプラスの多かった成長できた環境だったのかなと思う。

 

大学4年も長くなったのでここまでにします!

いよいよプロサッカー選手のスタートです。

ここまできたからJリーガーの13年間はもう少し掘り下げて書いてみようかな?!

またFootball Lifeの来週も、そして明日からも読んでください。

よろしくお願いします!

 

MIND PLUS⁺ 馬場