賢者の書とは一体、どのような物だとあなたは思いますか。
賢者とはどんな人ですか。
そもそも賢いとは何ですか。
この問いに解を与えます。
「頭がいい」と「賢い」は似ているが違う。
その違いを知るところから賢者の理解は始まる。
頭がいいというのは物理的なスペックである。
脳クロック数が高い、情報の処理速度が速い。
だから答えに至るのが早い。
だが単に頭がいいからといって、賢者と称えられる人はいない。
賢いとは真理を知ることである。
知性の高い人は「真理とは何か」という知的探究心を備えている。
その答えを持っている人が賢者なのである。
では真理とは何か。
それは法則である。
法則とはいつどこで誰が実行しても、同じ結果が出る。つまり科学で言うところの再現性がなければならない。
これが『命題A』である。
そして賢者が発する言葉は他者の問題や不幸を解決し、幸福に導くものでなければならない。
これが『命題B』である。
上記二つの命題から真理の正体が導き出される。
真理とは「いつ誰が実行しても、幸福に導かれる法則」のことである。
これを数多く知り、実行する者が賢者と呼ばれる。
このことから賢者の書の正体もわかる。
賢者の書には人を幸福に導く法則が数多く記されている。
賢者を目指したいなら、賢者の書に書かれていることを実行すればいいだけである。
繰り返しの実行によって、聖人賢者になれる。
深く考えなくても行動で賢者と呼ばれることができる。
たとえ脳のクロック数が低くても賢者になれる。
賢者の書とはそのような書物である。
余談だが、人はちょっとしたきっかけで悟りを得ることがある。
悟りは人に万能感を与える。
ちょっと悟りを得た程度で「自分は賢者だ」と叫んでみても周りは狂人扱いをするだけである。
ちなみに悟りには段階がある。
初めの悟りは全ての悟りの中で最も強い全能感がある割に、社会にとって何の役にも立たない。
ただ賢者の門を叩いた程度の段階である。
自分の内面が高まっただけでは賢者にはなれない。