↑前回の記事では子供には怪我をさせろと述べた。
子供の頃の怪我をさせておく理由はもう一つある。
レジリエンスという言葉をこの頃(令和初期)聞く。
意味は可撓性(かとうせい)である。
撓(とう)の訓読みは「しなる」。
竹が撓るなどと言う。
しなやかにあらゆる局面に対応し、安定した心のあり様またはその力の強さを指して「レジリエンス」と呼ぶのだ。
また不撓不屈と言えば、折れず曲がらずの鋼のような心のことを指す。
一昔前は不撓不屈の精神がリーダーに求められたが、この頃はなよ竹のようにしなやかに問題を解決するリーダーの方が良いらしい。
弱い心の持ち主が不撓の心では、大きな問題に直面すると折れてしまうからだ。
話は随分と逸れたが、子供は可撓性の塊である。
自分の身長の倍ほど高いところから頭から落ちれば、重傷を負う。
打ちどころが悪ければ命を落とすことさえある。
対して赤子は地球の重力に対して軽い比重である上に、柔軟性があるので、同じ状況でほぼ無傷である。
大人が「赤ちゃんが頭から落ちた!大怪我だ!」と大騒ぎしても、わんわんとひとしきり泣いた後はケロリとしている場面を見かけたことがないだろうか。
また赤子は細胞の分化は終わったばかりで、細胞の再生力(ストック)が豊かである。
そのため怪我の治りが驚くほど早い。
つまり大人では致命傷になるはずの怪我も、子供は耐えられる場合がある。
だから安心して怪我をさせてあげて良いのだ。
あとは命を落とすような重傷を負う状況を親が理解してさえいれば良い。
子供が障害を残す怪我をしたり、命を落とした事例を親が学ぶべきである。
このような危険予知教育は子育てに不可欠である。
事故事例を正しく学んでいれば「ちょっとなら子供に怪我をさせて良い」と言えるようになるはずである。