前回は「子供はよく泣かせろ」と述べた。
古き日本では、子供を同じ頃に子を産んだ母親たちが、共同で子育てを行なっていた。
また子育てに一段落ついた先輩の母親が、その行動で子育てのコツを伝えていた。
それには母親の母親、つまり祖母も含まれていた。
お乳をあげて、おむつを交換して、それでも泣くなら泣かせておけ。
そういう雰囲気が子育てにはあったのではないか。
例えば祖父母や近所の先輩母親の助けを得られずに子供を育てるとする。
母親は第一子はどうにか泣き止むように頑張ったとする。
だが仮に第五子まで産んで育てたとしたら、やっぱり泣きたいなら泣かせておけという結論になるだろう。
第一子が神経質に育ち、末っ子がのんびりでおおらかに育つ原理はここにある。
泣きたいなら泣かせておけ、やりたいことがあるならやらせておけ。
これを純粋倫理を提唱した丸山敏雄先生は「捨て育て」と呼んだ。
捨て育ては子供に備わった素質や才能を伸ばす、最良の方法である。
第五子ともなれば、兄姉がよってたかって赤子の面倒を見る。
いうなれば庇護者が多い状況になっている。
子供が安全で安心して育つには、庇護者が多いことが不可欠である
庇護者が多い状況、そして泣きたい時に泣かせてくれる状況。
これは赤子にとって、なんとも快適な環境である。
子供の楽園である。
このような形で多くの人に愛を注がれた子は、必ず愛の大きい人に育つ。
かつての日本が子供の楽園だったことは疑うまでもない。
農作業の片手間に、多くの大人が寄ってたかって子供に関わっていた。
「日本人が優秀な民族である」と言われていた時代が昭和期にはあった。
その根幹を支えていたのは、子供の楽園の存在を抜きにして語れない。