誰もが我が子を愛と夢に溢れる子供に育てたいと願っている。

だが世の中を見渡せば、愛と夢に溢れた大人は少ない。

もしかしたらその方法論を確立した人はいないのだろうか。

だとしたら私はその明確な答えを述べていこうと思う。


まず愛に溢れる子供にするために、赤子の頃にしなければならないことがある。

それは「よく泣かせること」である。


子育てに不慣れな親は、赤子が泣くととにかく泣き止ませようとする。

どうやったら泣き止むのか。正解は何か。その答えがわからなくて右往左往する。

子供が健康であるのに、泣くのが病気であるかのように扱う。

これでは子供はいつまで経っても泣き止むはずはない。


この問題の正解の第一は「赤子に不快な現象が起きていて泣きたい」という事実を受け止めることである。

「泣く」は赤子にとって大事な親とのコミュニケーションである。


赤子は今まで母の胎内にいて、臍帯を通じて母親の感情を受け取っていた。

それが臍帯が切れて体外にでて、親の感情を感じられなくなってしまった。

自分を包んでいた羊水はなくなり、自分の肺で呼吸をしなければならない。

今までと状況が一変して、わけがわからなくて、不安でパニックになっている。

これを「泣きやめ」と言って、泣く子を責めるのはなんとも酷である。


その他方、赤子は賢い。

泣きながら周囲の観察を始めている。

状況が安全とわかれば、いずれ泣き止む。


生まれた時に行うこの「パニック泣き」はしばらく続く。

しかも昼夜問わずでだ。親にとっては堪らない。

お腹も空いていない、おむつも快適。

それでも泣くのは、実は自分がいる状況が安全な状況にいるかどうかを確認しているのである。


野生において、子供が泣くのは危険である。

外敵に囲まれている中で泣くのは、自分の位置を的に察知させるからである。

そのような状況下では、親は必死で子を泣き止ませようとするだろう。

または大人が寄り集まって子供を守る状況を作るだろう。

最悪は子供を差し出すなり殺すなりして、家族の保全を図るだろう。


だが外敵がいない状況であれば、子供がどれほど泣いても大きな問題ではない。

だから泣くだけ泣かせてあげると良い。

心から「ここは安全だから、いくら泣いても大丈夫だよ。」と念話で伝えてあげるのだ。


深夜に泣いても、朝に泣いても、昼に泣いても。

親の都合をサッと捨てて、子供に愛を注ぐのだ。

このような安心感に包まれて育つことが、余裕ある心豊かな子供を育むコツである。


そしてこれが「原因がよくわからないけれど、泣いている子供を泣き止ませる」問題の正解である。