世の中を見れば、快楽を追い求める修行さえ存在する。

真理は性的快楽と共にあると主張する一派もある。


真なる人「真人」は快楽との向き合い方が上手い。

禁欲と放蕩の対極を知っている。

どちらも知ることで己の立ち位置を明確にする。


ただ依存症が恐ろしいことはあえて記しておく。

私たちは薬物に手を出さない。

賢者の書には「真理を知るために全てを経験してくべきである」と記されている。

この内容に従うなら、私たちは薬物も経験すべきと考えるだろうか。


己の精神や魂を蝕むほどの快楽は、魂を冒す毒である。

精神に作用する薬物を真人は嫌う。

麻酔や覚醒剤はもちろん。

酒やタバコ。時にはカフェインでさえ断って克己制欲行を行う場合もある。


だ神は享楽を好む。

神は酒好きである。

楽しいことを好む。

この神の性分は私たちにもある。


楽しいことを拒むのは私たちの魂に内在する神の性を否定することになる。


依存症にならない程度に、私たちは薬物を知れば良い。

もしも依存症になったとしても、魂が強い真人の候補者であるなら、中毒症状から抜け出せる。

それでいて依存症から脱する時の苦痛を知っているから、薬物には近づかない。


快楽と距離を置き、それでいて克己制欲行に依存しない。

この状態が人が人として最も冴えた状態と言える。