低レベルな人は、行動を快楽によって支配されている。

判断基準が快楽である場合、金銭の奴隷になりやすい。

 

金があれば快楽は簡単に手に入る。

酒、薬、ギャンブル、性、美食。

1日も快楽を手放さないためには、とにかく金が必要である。

 

そして快楽至上主義で理性が弱い人は、いずれは犯罪に手を染める。

そして一度犯罪に手を染めると、悪事が癖になってまともな生活ができなくなる。

家族や他人に迷惑をかけ続け、この世に存在することを望まれない人になってしまう。

 

彼らは快楽の奴隷であり、金銭の奴隷である。

たった一度の人生を奴隷で終わる運命にある。

少しの努力で奴隷から這い上がれるのに、快楽に抗えず、奴隷のままで生涯を終えようとする。

 

私はそのような人の姿をした彼らを人間として扱うことはない。

私は彼らを「擬人」または「偽人」と呼ぶ。いずれも読み方は「ぎじん」である。

彼らは人の姿をしているが、人ではない。

人としての尊厳を自らドブに投げ捨てているからである。

 

私は偽人を心の底から侮蔑している。

彼らを人と呼ぶのも相応しくないと思い、「魂を失った肉の塊」と呼ぶこともある。これを略して「肉塊」または単に「肉」と呼んだりする。

 

己の人生を心のままに生きる真なる人、「真人」の真逆に位置している。

このことから快楽の制御は、心のままに生きるために必要不可欠なこととわかる。