前回は人生の無駄について述べた。ではその無駄はどうして起こるのだろうか。
それは心の垢が溜まっていることから始まる。
心の垢といわれても、何のことやらさっぱり見当がつかない人もいるだろう。
例えば先延ばし。
明日のことを考えて、夜のうちに支度をしておこう。これが無駄を起こさない心である。
それがわかっているのに、面倒くさいと後回しにしてしまう。
例えば後片付け。
使ったものを元通りにする、少しの汚れをきれいにするなどして、次の行動に備える。
だがこれも面倒くさいと言って、ほったらかしにして、探し物の混迷を深める結果になる。
例えばメモをとる。
さっきあの人から聴いたことって、何だったか。一字一句覚えてることは出来ないが、メモを取りながら注意深く聴くと、聞き間違えは起こりにくい。
それがわかっているのに、うろ覚えのまま行う。いい加減な心で人に指示をして間違える。
その結果はどちらも心をすり減らす、無駄な時間を過ごすことになる。
場合によっては大人数に迷惑をかけることにもなる。
すぐやる、次の備えを怠らない、注意深く心を傾けて相手の話を聴く。
これは3つの無駄を排除する具体的な方法である。
そしてこれらは人生がうまく行く秘訣である。すべて清き心がなければ出来ないことだ。
周利槃特(チューラパンタカ)が「塵を払い、垢を清めん」と念じて行動した結果、立派な僧になった。
それは掃除を通して、清き心を得たからだ。
彼は毎日、精舎の汚れているところを隅々まで探して、「塵を払い、垢を清めん」と心を込めて隅々まで掃除をしたという。
これは憶らく精舎を出るように勧められた彼が、それでも立派な僧になりたいと強く念じたからであろう。
その結果、汚れていたのは己の心だったと気づき、そこから悟りに一直線に向かったという。
記憶力が低く、能力を周りに馬鹿にされた彼が、立派な僧になったのは、心を清める力を高めたからだった。
ただ掃除をしただけで立派になった人の、数千年前の逸話が今に残る。
このことに深い意味があると察して、「塵を払い、垢を清めん。」と今日から念じてみよう。