*清い心とは澄んだ心のことです。

報徳と推譲を提唱した二宮尊徳翁は、見回りで色々な家を見て回っていた。

その途中で、その日の食べ物にも困る家の共通点に気づいたという。

それはどの家も必ず「台所に洗っていない食器がある。」ということだった。

 

これを尊徳翁は、その鋭い観察眼を以てこう評している。

「次に食べ物が入ったときの準備をしないで、食べ物がその家に入ってくるわけがない。」

 

この食器が片付いていないことも、心の濁りである。

「食器は食べ物が来たときに洗えば良い。」では間に合わないのだ。

 

先に出口(流末)の道筋をつけて、それでようやく欲しいものが入ってくる。

器には決まった量のものしか入らないことはすでに述べた。

自ら出すことで、新しいものが入り濁りがとれる。

 

汚れたものを放っておくことは心の濁りであり、判断を遅らせる根本原因である。

塵を払い、垢を清めん。

あなたから神通力を奪い取るのは、心の塵であり、心の垢である。