心を自由に生きる。

それは心の鎖を解き放つと言うことである。

では人は一体、何に囚われているのだろうか。


それは負の過去である。

過去の失敗に囚われている人の多いことよ。


私が知る人で「反省します」と「ごめんなさい」が口癖の人がいる。

悪い人ではないのだが、ちょっとそそっかしい。

ちょっとのことでミスをして、すぐに「ごめんなさい」と言う。

過去にした失敗の話をしては「反省しなければと思いました」などと話す。


ある時に司会をしていて、その人が進行をちょっと間違えた。

そのことが発覚した時に、司会進行を止めて丁寧に謝り出した。

「私が間違えたばかりに、皆様にご迷惑をおかけして。。。反省いたします。」


そこまで丁寧に謝る必要がある重大な誤りでもなかったのに、その人は謝って反省することを最重要視して行動した。

その結果は進行が止まり、場が白けてしまった。


私は「反省時間は短ければ短いほど良い」と考えている。

大切な相手に明確な不手際で迷惑をかけて怒らせてしまった時は、許してくれるまで真心を尽くすして謝罪する必要がある。

それは人として当然のことである。


ただ理不尽な理由で怒る人もいる。

軽微で復旧が容易い損傷で人が許せなくなる人もいる。

大切なことを知らなくて、不作為に人を傷つけてしまうことだってある。


そんな時は「もうしないように気をつけよう。さあ、次のことをしよう。」という1秒もかからない反省で良い。


失敗に囚われて生きる人生を私たちは選ばない。