人生の主役の道は苦難の道である。

だがその道を行けばわかることがある。

 

人生に絶望している頃。

自分の手には何もなかった。

才能もなく、金もなく、名声もない。

自分には何もないのに、ほかの人は色々なものを持っている。

自分だけが何をやってもうまくいかず、自分はこの世界に必要がない存在だとと考えていた。

 

だがそれでもこの世界で生きていこうと決めた時。

再び自分が主役の物語を書こうと決めた時。

意外なことに、自分に与えられているものがあることに気づく。

 

まるで自分がこの道を行くことをすべて見透かされていたように。

必要な才能、必要な人、必要な物資が与えられている。

これを聖書では「備えられている」と表現する。

 

「求めよ、さらば与えられん。」

 

プロレスの故アントニオ猪木選手は「この道を行けばわかるさ。」と言った。

高村光雲は「僕の前に道はなく、僕の後に道ができる。」と表現した。

 

自分が主人公の道は、前人未到のために道はない。

前人未到の道を行くことはつらく苦しい。

だが自分が初めに通った道をフォロアーが歩いてきたとき。

多くのことがわかり、前人未到の幸福が訪れる。