さて「自分が人生の主役である!」と名乗りをあげてみたものの、主役のなり方がわからない。
幼少の頃は自分こそが人生の主役だと信じて、他者を押し除けてでも主役になろうと頑張っていた。
なのに主役ばかり取ろうとしたら周りから叩かれ、それが嫌になって脇役や端役を選ぶ習慣がついてしまった。
いつの間にか脇役と端役ばかりが上手くなって、主役はどう立ち回ればいいのかわからなくなっている。
もしもあなたが脇役を徹してきたなら、役を全う(まっとう)することを知っているだろう。
それなら主役を演じるには容易い。
もしもあなたが自分の役は端役だからといい加減に考えて、劇を乱すことばかりしてきたなら、主役のなり方などさっぱりわからないだろう。
「主役級の役者が脇役をやらせてみたらてんでダメだった。」
だとしたらその役者はヘボである。
主役は脇役と端役の演技に気を配り、彼らの物語を引き立たせつつ、その頂点となる物語を紡ぐ。
主役は監督と心を合わせて、創作者の意図した通りの物語を演じきる。
そして観客である、主役に名乗り出ない人々の心を掴むのだ。
主役になるのはなかなかに難しい。
叩かれずけなされず名演を続けて、観客を幸せな新世界に騙して連れていく。
これが主役の大業である。