私が子育てで感じるのは、子供に備わる力の大きさである。

 

親のひいき目を外してみても「神が宿っているのではないか」と思うほど、その魂は精密にできている。

そして私が子供のころを思い出し、本当に自分にそっくりで、懐かしい気持ちになる。

「自分がこのくらいの年頃に大好きだったことは何か」を子供から教えられる。

 

そしてその美しい個性を社会につぶされたことを思い出す。

世間の親は「子供が社会に合わせるよう」に教育するだろう。

私は大賢者の知恵を以て、「我が子に社会が従う」ような素晴らしい人に育つ教育がしたいと願う。

 

この「何一つ願いがかなわない世界」を覆す教育。

それはどんなものだろうか。

 

子供は非力である。

十代の少年期や青年期に社会を変える力を持ち合わせない。

だから親が子のアクセルを一緒に踏まなければ、この世界を突破することは出来ない。

 

かの発明王、トーマス・エジソンの子供時代は奇人変人であった。

多くの同級生と違う、偏った思考習慣を持っていた。

その母は息子トーマスのやりたいことをそのままにやらせることにした。

 

我が子が社会になじめない恐怖は、親にとっては大きいものである。

トーマスの母はそれを克服して、我が子の可能性を信じた。

希望の芽を摘み取らずに育てた。

その結果がその時代を変えるほどの発明品を数多く生み出した。

トーマスの母が凡人であったなら、トーマスは発明王になれなかったのである。

 

世に「発達障害」と言われる子供は多い。

私は彼らこそ「世界を変える力を秘めている」と信じている。

 

社会になじめない子を授かったら喜びなさい。

その子は成長したのである。

その子はこの世界が「願いが叶いにくい世界」だと知ったのだ。

これを成長と言わずして何と言う。

 

今引きこもっているのは、痛みの治療中であり、休憩中である。

この子の存在を悲しみ、子を責めるのは、傷を負う子に鞭打つ所業である。

半年ほど休ませて、そのあとで外に連れ出せばよい。

 

子は親の願いそのままに育つ。

あなたがこの不幸に満ちた世界を打ち砕いて新しい世界を願っているなら。

あなたの子はこの世界を打ち砕く人になるだろう。

 

いずれ我が子が、そのなじめなかった社会に変化を与え、人類文化の進歩に寄与する人になる。

そんな結果を考えて腹から愉快になればよい。

 

子は親の信じたとおりに生きてくれる。

だからあなたの子が社会になじめない子に育ったとしたら、それは始まりである。

何も深刻に考える必要はないのである。