まず親の役目を勘違いしている人が多い。
親の仕事を「子の人格矯正」と考えていないだろうか。
子が悪事を働くたびに、叱り、怒る。
悪いことを働かぬように、人に迷惑をかけないように。
そうして漠然と、子の安寧な生活を願う。
子が悪事を働かずに成人して、社会人になることが子育ての最大目標になっている。
確かにこれも教育の一つである。
だが残念なことに、この多くの親が行っている教育の結果が、現状の「何一つ願いが叶わない世界」である。
自分が何のために生きているのかを実感できない人が多い。
人生が一度きりで貴重なものだと認識する人が少ない世界。
常識論ですべてを片付けることにして、深い思考を放棄した世界。
これが「何一つ願いが叶わない世界」の正体である。
最大目標に対して、うまくいって8割程度の成果しか出ないのが我々が住む世界の特徴である。
「平穏無事に社会人になること」が親の最大目標だとしたら、その親の下に生まれ育った子が成人した時の成果はいかほどだろうか。
このことから逆算して考えれば、親の役目が見えてくるのではないか。
私は子育てとはとても簡単だと考えている。
なにしろ子供には自分で育つ力が備わっている。
私は4歳で「人が生きる意味を知りたい」と願った。
これは私の人生の仕事が「大賢者」だから備わった考えである。
これは特別なことではない。
私と同じように5歳までに全ての子供には「天啓」が下りている。
その天啓(天恵)を摘み取らずに我が子を育てればいいのだ。
あなたは種をまき、子供という生命力にあふれた芽を吹かせた。
基本は天からの恵みで雨が降る。
だから何もしなくても子供は育つ。
時々は水枯れしないように気を配り、水やり(愛情を与える)する。
子が育つ土壌は文化・社会である。
良い土がなければ、良い子はなかなか育たない。
家庭文化が優れていれば、優れた子が育つのは自明の理である。
だがどんな優れた社会にも、ダークサイドは存在する。
その子の周りに雑草が生えるように、暗いノイズが生命力を奪い取ってしまうこともある。
そのようなノイズが減るように、悪い情報は雑草をむしるように遮断する。
水枯れ(愛情枯渇)に陥った時は、親らしく愛の水を与える。
そう考えると子育ては手がかからないのである。
物理的に手が掛かるのは赤子の時だけで、4~5歳を超えたら子の好きにさせればいい。
手がかかると思っているのは親の思い込みで、子は放っておけば自分の世界を構築していく。
自分の人生を自分で切り開く力は、しっかりとした社会土壌と親の愛さえあれば問題ない。
庭は放っておけば雑草が生い茂り、何が大切なのかがわからなくなる。
だが逆にすべての草をむしってしまっては、大切なものが一つもなくなる。
この二つを比べれば、まだ前者のほうが生命力がみなぎり、前途洋洋である。