さあ、無事に子供が産まれた。
これは言葉にできぬほどの喜びである。
世には出産に関する悲劇が多い中で、あなたの子は無事に産まれたのである。
ここに至るまで色々あっただろうが、とにかくおめでとうと祝福を送りたい。
ここで一つ、大切なことを忘れてはならない。
子を授かることは夫婦にとって、大きな仕事である。
無事に我が子をこの世界に迎えることができた喜びは大きいが、それだけで終わってしまってはいけない。
両親にとって出産は一つのゴールであるが、子供にとっては全ての始まりである。
我が子を手に取り親の覚悟ができたなら、名付けの儀式があるだろう。
その名を見れば、どのような人になって欲しいのか、親の願いがわかる。
また名前を見ればその親の賢さがわかると言える。
中には奇妙奇天烈な名前の子もいる。
あまりに変わり過ぎていて、周りから「可哀想」と言われてしまう名前すらある。
その子は産まれた時は赤ん坊だが、やがて少年に育ち、青年になり、壮年から老年に至る。
この全ての人生のステージにおいて、有利にはたらく名前かどうか。
この人生のステージを全く何も考えていない名前では、真に子供の幸福を考え抜いて名付けをしたとは言えない。
ここは親の知力の見せ所である。
ただ「ちゃんと大人になってくれさえすればいい」などと考えている親では、子供の前途洋々たる将来像を思い描くことすらできないできない。
その親の思いはそのまま名前に反映されてしまう。