かつて日本には妻が夫をもてなす文化があった。

これは一夫多妻制と関連がある。

 

一人の夫に複数人の妻がいる場合には、明確に競争が発生する。

自分のところに夫が通ってくれないのは、女の名折れである。

そして夫は浮名を流し、後から来る妻のほうが若い。

本妻が若い女に勝つための知恵が多く絞られ、やがて妻が夫をもてなす文化が生まれた。

 

一夫多妻を実現できるのは一部の特権階級の金持ちである。

 

「良家に嫁ぎたい」と願うのが女の本性である。

これは女性の子育て環境を意識する本能と関連がある。

 

「玉の輿に乗る」という言葉がある。

特権階級の娘が嫁ぐことを「輿入れ」ともいう。

高級な輿に乗せて、行列をなしての物々しい嫁入りのことである。

玉は宝石を示し、輿とは人が担ぐ乗り物である。

 

「玉の輿に乗る」とは「お姫様のお嫁入り」である。

これは他家から来ている嫁にわが子が負けないよう、親が娘を思って精いっぱいの見栄を張って用意するものであった。

そして妻となった娘が、実家の権力を誇示するために見せびらかすように乗った。

つまり嫁入りの瞬間から競争は始まっていた。

 

上記の玉の輿に乗らなければならない事情があるような家に嫁ぎたいと願う女性は多いだろう。

だが現実は貧しく、妻一人を養うのが精いっぱいの甲斐性なしの夫が目の前にいる。

ため息が出そうになるほど切ない現実である。

 

せめて特権階級女性の仕種だけでも真似て、その気分に浸ろうとする遊びはどこにでもある。

屋敷に出入りする下女が、女亭主の物まねを面白おかしく人に伝えたりもする。

「特権階級ではこのようにするものよ」という言葉とともに、庶民に広がる。

特権階級妻同士の激しく醜い競争の部分を理解しないままに。

このものまね遊びがままごとになり、夫に甲斐性がなくても、妻が夫をもてなす文化が広まった。

 

良家に嫁ぎたい願いが女性の本性であるなら、「夫が私のところに帰ってきてほしい」と願うのが妻の本性である。

せっかく良家に嫁いだとしても、夫に見向きもされない妻では結婚した意味が薄い。

夫に愛されることが少ないために、子供にも恵まれない。

お金には恵まれるが愛に乏しく、若くして隠居生活を送る。

 

これはこれで快適なのかもしれないが、人生の喜びや意義は(与えた愛+受け取った愛)の総量で決まる。

快適だけの人生が、何となく寂しいと感じるのは私だけだろうか。