私が懇意にしているカイロプラクターの先生から教わったことだが、「くすぐったい」「気持ちいい」「痛い」の信号は同一の神経回路で受容していると言う。
与えられる刺激の強さで、感じ方を変えているのだと言う。
私はそれを聞いたときに、「そんなバカな⁉️」と思ったが、いまとなっては「なるほど、そうだ。」と思う。
筋トレにはまるとやめられなくなるのも、このことが関係している。
筋肉は鍛えると筋繊維が何パーセントかが切れる。
筋トレの後に身体を休めるときに、筋繊維が増えて筋肉が増強される。
この筋繊維が切れた痛みが、筋肉痛である。
この筋肉痛を快楽に感じ始めてしまう人がある。
「心地よい疲労感」などと言うが、この快楽に溺れてしまうことになる。
常に筋肉痛が常態化していないと耐えられないようになり、己の全てを擲って(なげうって)筋トレに励むようになる。
筋トレによって鍛えられた、鋼のような己の身体を鏡で見て、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべる。
「筋トレ中毒」とも言えるだろうか。
確かに己の肉体は変えた。
だが外的環境を変えることに心が及んでいない。
力を得たのに己の世界に没入して、外的環境に変化を与えるのを何処か(どこか)においてきてしまう。
これはこれで幸せだが、真なる人の生き方とは言えない方向を向いてしまっている。