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世界平和を願っています

イギリス東インド会社がインドへ進出

 

イギリス東インド会社は香辛料を求めインドを植民地化する。

その過程でインドの宗教や哲学なども吸収された←後に神智学に繋がる

 

イギリス東インド会社は

1601/1に出航し、1603/9にイギリスに戻り

103万ポンドの胡椒を持ち帰った。

 

ロンドンに入荷した胡椒はヨーロッパ各地に売りさばかれた。

 

このように当初は香辛料を目的に動いていた。

 

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インド産のキャラコが普及

 

植民地化したインドからキャラコという着心地がよく機能面に優れた

綿布がイギリス社会に急速に普及する。

 

そのことにより、イギリス国内の毛織物が全く売れなくなり、

毛織物業者によってキャラコの輸入禁止運動が勃発する。-キャラコ論争

 

これにより

1700年-キャラコ輸入禁止

1720年-キャラコ使用禁止

された

 

これに対しイギリス国民の怒りの声が上がる。

それだけキャラコの着心地が良かったのだろう。

 

キャラコの生産

 

 

キャラコを国内で生産する-産業革命

 

イギリス国内で綿工場が復興する。

 

1730年、インドから綿花を輸入、イギリスで綿織物の製造を開始。

これにより技術革新が進みイギリスで産業革命が起こる。

 

機械化された工場で綿織物が製造され、

なんとそれがインドに逆輸入された。

 

もっとひどいのが

邪魔になったインド国内の織物職人の手を切り落とした。

数万人にも及ぶそうだ。

 

イギリス東インド会社のやつらはインド人を人間と思っていないのだろう。

職を失ったインドの人々は餓死した。

 

 

アヘンの登場

 

1661年にイングランド国王のチャールズ二世により

イギリス東インド会社はあらゆる権利が与えられる。

 

  • 主権国家との和平条約および宣戦布告の権利。
  • ベナレス、ガンジスのケシ(アヘンの原料)栽培の完全支配の権利。
  • アヘンの収益を独占する権利。
  • インドの政治指導者と直接交渉する権利。
これらが与えあられた。
 
ケシの果実
 
 

インドでアヘンが作られる

1700年代にインドで徴税が課せられた。
 
インド人民はその高い税を払うために、
売り上げが高いケシの栽培を強制された。
 
このことにより国内の小麦畑がなくなり、
インド全土で飢饉が起こる。
 
結果19世紀には2000万人以上の餓死者がでた。

 

 

まとめ

 

このようにインドはイギリス東インド会社に

 

胡椒を奪われ

キャラコを奪われ

小麦畑を奪われ

 

挙句の果てにアヘンの原料を作らされた。

 

反対するものは暴力により鎮圧された。

 

 

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