11月8日は ~ X線発見の日 ~ | 石巻健育会病院のブログ

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こんにちは 放射線科です

季節はすすみ、もう11月メモになりました

 

11月8日は、なんと X線 が発見された日なんです拍手

いまから 125年前の話しになります

 

『謎の光・X線の発見』メモ
-W・C・レントゲン1895年- ドイツ

ドイツに生まれスイスのチューリッヒ工科大学の機械工学科を卒業したウイルヘルム・コンラッド・レントゲンは、実験物理学の研究に励み、母国のギーセン大学物理学教授に任ぜられ、さらにはブュルツブルク大学物理学研究所所長に招聘(しょうへい)されました。

さまざまな研究に携わっていましたが、1895年11月8日、紙や木片を通過する未知の放射線であるX線を発見しまし目

指環をつけた夫人の手

 本厚さ1000ページの本びっくりをほぼ完全に透過し、鉛ガラスなどではある程度遮られ、写真乾板を用いると鮮明な撮影が可能であることもわかりました。X線写真の始まりですが、「手にX線を当てると手の骨はくっきり写り、周囲の軟部組織が薄く写る」とレントゲン自身が述べています。記念すべきX線写真として、指環をした妻アンナ・ベルタの

パーのレントゲン写真カメラがのこされています。

 そして数学の未知の数を表す『』の文字を使い仮の名前としてX線と名付けました。

身体を傷つけないで体の内部を見たいという、人類永遠の夢が実現したわけですサーチ

 

この手の主は、X線を発見したドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンの妻、

アンナ・ベルタ。薬指にある黒い塊はコインたちの指輪で、金はX線を吸収するため黒く見える

 

 

第1回ノーベル賞の受賞
 特許権買い入れの申し出にも、「私の発見は全人類のものであり、個人として利益は独占しない」として特許は取りませんでした。グッ1901年には創設されたばかりのノーベル物理学賞に選ばれましたが、賞金の全額をヴェルツブルク大学に寄付したことも知られています。退職後は夫人に先立たれ、第1次世界大戦後の破壊的なインフレーションの中で孤独な貧困生活を続けながら1923年に78歳で老衰のために生涯を終えましたが、多くの学者が「病める者に尽くした業績は永遠に消えることはない」と偉大なる物理学者の死を惜しみましたショボーン

 

医療分野でのX線の有用なことは明らかで、レントゲンという物理学者の研究によって医師は史上初めて体内を覗くかのごとき手段を手に入れたのです。骨骨折の診断にすぐに用いられ、心臓の大きさや形の診断にも応用されはじめました。医学上の発見はもちろん、工業会や他の領域の発見を考えても、これほど急速に応用の広がった発見はみられません拍手

 

すごい方のお話しをしました。X線は皆さんも”レントゲン”とも普通に言うと思いますが、当時のレントゲン本人はレントゲンと呼ばれることを好まずえー、自らが仮の名前と した『X線』と常に呼んでいたようです。やはり恥ずかしいんですよねもやもや        また、ドイツの物理学者として知られていますが、戸籍上はオランダ人とのことです。  母親がオランダ人とあります。

もうひとつだけです。理科や化学に興味ある方はご存じかと思いますが、へぇ~となることです。      2004年に、原子番号111の元素に レントゲニウム とういう名称がつけられました。理由は、レントゲンがX線を発見してからおよそ100年後(実際は99後?)に、この111番元素が発見されたからだそうです。    すごいですね―       周期表の赤丸のなかに 111Rg とあります。

下差しこの周期表~、すいへー@#&:%$!%&シップス+*%z¥φ$もやもや 忘れています--ガーン

 

 

それではまた12月にお会いしたいと思います