盛り上がっているオリンピック!


体操男子個人総合でも内村選手が快挙を成し遂げましたねキラキラ



そんな中でのこのニュース。。。



海外メディアの
「あなたは審判に好かれているんじゃないですか?」
という質問に対して…


内村選手は「まったくそんなことは思ってない。みなさんに公平にジャッジをしてもらっている」
と答えたそうです。

そしてこの海外メディアの質問に
「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの。航平さんはキャリアの中でいつも高い得点をとっている。それは無駄な質問だ」
と怒っていたのが銀メダルのベルニャエフ選手。




この質問をした記者に対しての評価や、ライバル同士の美しい友情の感想は皆さんにお任せしますが、エアロビック競技に携わる人々…特に選手の皆さんにこの記事で注目してもらいたいのは・・・

この記事の中では誰も審判員の事を「先生」と呼んでいないグラサン!



ではなくてへぺろ



内村選手の「公平」という言葉!
(内村選手が日本語で答えていたのか英語で答えていたのか、ノムラは記者会見を見ていないので、あくまでもこの記事のこの文面だけでの解釈です)




「平等」は全ての人が同じであり、結果やゴールを揃える。というイメージをノムラは持っています。

対して、「公平」は全ての人を同じ条件で見る。という、スタートラインはどんな人でも同じなんだ、という公の宣言的なイメージ。
しかし、スタートラインと条件は同じでも、本人の心掛けや技量や努力次第で結果には差が生じる。

どちらが良い悪いではないし、どちらも大切なんやけど、勝ち負けの世界においては後者が根底にあるべきやと個人的に思います星


そんな勝ち負けの頂点とも言える環境と、とてつもないプレッシャーの中で切磋琢磨している人間だからこそ、そして自分と同じような相手に負ける覚悟が出来ているからこそ「公平」という言葉がすらっと出てきたのではないかと、ノムラは無理矢理に、強引に、過大に、曲解混じりに、都合良く解釈してみましたグラサン


自分と自分を応援してくれる人達を信じて練習を積み重ねて、そしてその練習を信じているからこそ、審判も信じることが出来るし、ライバルも信じる事が出来る!!






ここで想像してみようルンルン


「あの審判はいつも自分に低い点をつける」

「もっと平等に見て欲しい」

「練習会に参加して顔を覚えてもらう」

「あの審判はアライメント重視で見るらしい」

等々…


こんな台詞を内村選手が言いますか?
(金メダリストを勝手に引き合いに出してごめんなさいm(_ _)m)




でも、悲しい事にエアロビック競技の中の、ほんの一部からは聞こえる台詞です…

軸が外側と他人にあって、「公平の舞台」から自ら降りている。。。




エアロビック競技の選手は、そんな次元を超えた領域に居るべきやねん!!


自分と指導者を信じて練習を積み重ねていけば、自然に評価の軸は自分の内側に来て、バランスがとれる!

点数は審判員が出すのではなく「自分が出す!」と思えるようになると、審判も信じる事が出来て愚痴も出ない!

「選手は審判員とも団体とも対等なのだ!」という当然の理念を思い出すから、自分を尊重出来る!

情報に溺れる事もなくなり、噂話や周囲の雑音も遠ざかり、他人を裁いてる暇もなくなる!

そして、「公平」な勝ち負けのスタートラインに並ぶ事が出来る!!



勝ち負けの世界は時に残酷やけど、でもそれはグレーな世界ではなく、色鮮やかなコントラストの世界やねん


だから「公平」って言葉が好きなのです照れキラキラ
(そういえば内村選手は航平さんやね)




と、この記事を読んで無理矢理に感じてみましたとさウインク星