「自民党に自浄能力がない」のではなく、「日本国民に自浄能力がない」のだ | けんじいのイージー趣味三昧

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 今回の自民党パーティ疑獄について書くのは昨年末で終わったつもりだったが、能登半島地震や羽田の航空機事故ですっかりニュースバリューが小さくなってしまったので、また書こうという気になった。自民党が危なくなると北朝鮮がミサイルを飛ばす話にどこか似ている。

 

 

 それはともかく、自民党が政治刷新本部を作って政治改革に乗り出すと言う。しかしこんなものは歴史を見ればすぐわかるように本気でやる気は全くないただのやっているふりだ。本気なら「企業団体献金の廃止」に持っていくしかないはずだからだ。1994年細川内閣が政党助成法と政治資金規正法の改正をセットで成立させ、企業団体献金を5年以内に見直すと約束したのに実施されていない。

 

 つまり自民党には自浄能力がないのだ。しかし、それが繰り返されているということは、自民党を取り替える手段を持つ国民に自浄能力がないことにほかならない。

 

 

 ここで脳裏に浮かぶのは、今流行りの権威主義国家という言葉である。何が起きても政権が変わらない国家が権威主義国家だからだ。けんじいは以前から日本は形の上では民主主義陣営だが、実際は中国やロシアと同じ権威主義国家に近いと思っていたら、先日サンデーモーニングで寺島実郎氏が「今や欧米の知識人の間では、日本は権威主義国家なのかと言われている」ようなことを語っていた。

 

 もちろん欧米の一般大衆の間では、今も「日本は平和国家で、日本人は親切で優しい」と言うイメージが流布され続けているのであろうが、寺島さんのような知識人の間ではそのような理解が広まっているのだろうと想像する。

 

 それは、報道の自由度ランキングやジェンダーギャップ指数における欧米民主主義国家グループからかけ離れた低位置、国会や政治家と新聞記者とのやりとりにおけるバカバカしい台本読みの形式主義などを見れば頷ける。ましてや性的少数者や気候変動に対する危機感などに至っては。

 

 

 建前はともかく実態は欧米よりもいかに中国や北朝鮮、ロシアなどと近いかが明らかだ。それどころか、中国でも貧困対策には「共同富裕」政策、あの北朝鮮でも「女の子」を後継者にする姿勢など、世界の潮流を見ていることに驚かされる。

 

 元に戻って自浄能力のない日本国民は何が起きても自民党を支持し続け、自ら権威主義国家に成り下がろうと歩みを進めていると言わざるを得ない。本当に寂しいことだが。