交隣提醒(雨森芳洲著、田代和生校注)(その1) | けんじいのイージー趣味三昧

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 先般朝鮮通信使の「製述官」申維翰の著作「海游録」を紹介したが、続いてその中にしばしば登場する雨森芳洲の著作を読んだ。繰り返しになるが、雨森芳洲は対馬藩において日朝外交の実務的な責任者だった人である。ほぼ漢字ばかりの原文を書き下し文に直したものを読んだが、高校で古文を習ったくらいでは正直言って歯が立たない。1回目は、まあこんなことだろうと理解できたことを中心に紹介する。

 

 

 「朝鮮交接の儀は、第一に人情・事勢を知ること肝要」というよく知られる文章で始まる。要は国によって習慣や事情が違うので、自分の国の基準で判断してはいけないという当たり前のことを言っているのだが、具体例が色々あって面白い。

(1)「首途」と言う単語の意味の違いで揉めた例。「首途」は、日本語の辞典を見ても「旅に出ること、旅立ち」とあるのだが、朝鮮ではこれすなわち乗船することと理解してその日に出港するつもりでいる。これに対し、日本では出発が決まったら「首途」の儀式を行い、それから具体的な出発日を決めるので両者間に誤解、トラブルが生じた。

 

(2)日本人は寒い中でも尻をまくり足を鳴らして一生懸命働こうとするが、朝鮮人はこれを見て無礼であり不調法であると心の中では笑っている。著者は「朝鮮はとかく中国のやり方を重んじている」ことを誤解の一因に挙げている。

 

(3)日本人が「朝鮮国王は庭に何を植えているのか」と聞いたのに対し「麦を植えている」と答えたら、「国王が農民と同じか、花を植えないのか」と笑った。著者は、朝鮮国王は「農業は国の基本」と考えているからで、笑うべきことではないと批判する。

 

 

(4)朝鮮人がみだりに言葉に表さないのを見て「愚かなる者」と判断したり、長袖を着て立ち回るのを見て「ぬるき者」と判断する。さらに通訳は両方を取り繕うため適当なことを言うために「朝鮮人は嘘をつく」などと言うのはいずれも了見がないと考える。著者は、むしろ朝鮮人がみだりに言葉に表さないのは、前後を踏まえた思慮の深さである点、思慮の浅い日本人の言うことではないと言う。また、朝鮮人はのろまだという点についても、船の乗り降りを見ると、朝鮮人は予定に合わせて少しも遅れないのに、日本人は髪を結い、手洗いをし、股引と脚絆をし刀を差し、印籠と巾着を下げると言って時間がどんどん遅れることもある、と細かい観察をしている。

 

(5)朝鮮人は謙遜し争うことを避けるのだが、日本人は常に日本が一番と言いたがる。例えば「酒は日本酒が1番だ」と言って、朝鮮人が「はいはい、その通りです」と言うと、どんな宴会でも日本酒がなければいけないなどと言う。しかし「日本人には日本酒がよく、朝鮮人には朝鮮の酒がよく、中国人には中国の酒がよく、オランダ人にはぶどう酒がいいと言うようなものである」と日本人をたしなめる。

 

 

(6)朝鮮通信使に対し、日光東照宮のほかそれよりもさらに豪華絢爛に作られた家光の廟(輪王寺、上)への参詣や大仏寺(方広寺)への参詣、耳塚(下は現代のもの)見学を強要したことについても批判している。前回のブログ(申維翰の著作「海游録」の紹介)で、なぜ幕府が通信使に大仏寺に立ち寄るように強くこだわったか理由が不明だと書いたが、この本からその理由がわかった。

 

 

 幕府としては「日本にはこんなにすごい華美な建築物もあれば、こんな大きな大仏もある。朝鮮にはないだろう」と誇りたかったこと、朝鮮征伐の際持ち帰った敵の耳や鼻を埋めた耳塚を見せて日本の武威を示そうとしたようである。しかし著者は「朝鮮人が華美に感心した様子にないし、仏の功徳は大小によらないのに、有用の財を費やして無益の大仏を作ったことを嘲っていた」と批判する。まして耳塚に至っては秀吉の暴虐振りを重ねて自分から言い出しているようなものであると痛烈に非難する。

 

 一方、自分の殿様、つまり対馬藩宗氏に対しても、批判や忠告などはっきりとものを言っている。例えば

(1)朝鮮に救済を求めるのは恥である。当時対馬藩は窮乏しているからとか災害にあったからとか言って、朝鮮から米を送られることが多かったようだ。しかし著者は、「文章からすると先方が強い関心を持ったように見えるけれども、実際はこちらから内々意向を持ちかけて哀れみを異国に乞うているが、誠に恥ずべきことである」と。

 

 

(2)朝鮮を礼儀の国であると言うが、それを言っているのは中国である。他の国は中国にそむくのに対し、朝鮮は代々礼儀正しく大に事(つか)えている(まさに事大主義)から、その点を中国は礼儀の国だと言っているだけで、全部が全部そういうわけではないから誤解してはいけない。朝鮮人が唾を飛ばしているからといって礼儀の国に似合わないなどと言うのはお門違い。ただ朝鮮は日本人が学んでいない中国の礼法を取り行っている点は確かである。

 

(3)朝鮮船の学ぶべき点も学べば良いのにそれをしていない。次回のブログ記事で触れる予定のこの本の「解説編」を読むと、ある程度の悪天候であっても朝鮮の船は出航できると言うが、日本の船は出航できないと言うくらい技術力の差があったようである。

 

 感心するのはこのように堂々と主君に対して批判や忠告をしても、閉門蟄居どころか、引退したいと言っても雨森芳洲を手放さなかった対馬藩のトップの度量と、そうせしめた彼の実力である。(続く)