土曜日にウォーキングのついでに美術館に行ったが、日曜日も天気が良い。新宿までの定期券はある。というわけで、以前購入した「東京ミュージアム散歩」というガイドブックにあった早稲田界隈を歩くことにした。

 

(漱石山房記念館へ向かう途中、オナガにしては白いが大きな鳥を見つけた)

 

 まずは、近年開館して名前だけはよく聞いていた「漱石山房記念館」へ。戸山公園を抜け、早稲田通りを進み、地下鉄の早稲田駅あたりから斜めの小道、その名も「漱石山房通り」に入ると左手に「漱石山房記念館」の建物が見えた。

 

 

 新宿区で生まれ育った夏目漱石が晩年の9年間を過ごした漱石山房は、「三四郎」「道草」などの名作を残した場所であり、多くの仲間とのサロンの場所でもあった。空襲で廃墟と化したが、書物などは弟子の小宮豊隆が当時東北大学の図書館長をしていた関係でそちらに疎開させ焼失を免れた。

 

 

 だから見学しているのは2017年に再建されたもので(本も背表紙だけ再現)、有り難みは今ひとつなのだが、夏目漱石が、俳句、小説、漢詩、英語はもちろん絵画やスポーツにも秀でた才能を持つ天才だったことがよくわかった。

 

 

 さて、この近くに草間弥生美術館があることは知っていたが、せっかく早稲田大学の近くまで来たのだからと、ランチの後ガイドブックにあった「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」に向かった。

 

 

 坪内逍遥は尾張藩士の子に生まれ、確かけんじいの卒業した高校の前身である愛知外国語学校卒業であり、上京後名古屋弁にまつわるエピソードも読んだ記憶があるので、名古屋弁を大切にしている?けんじいには親しみのわく人物である。

 

 

 彼は東大卒だが早稲田の先生をしており、彼のシェイクスピア全訳と古希を記念して作られたのがこの博物館とのこと。建物は16世紀のイギリスの劇場、フォーチュン座を模したエリザベス様式なのだそうだ(下)。

 

 

 週末でお休みかもと思ったが、オープンしていて「企画展新派」をやっていた。明治時代に歌舞伎(旧派)とは異なる新たな現代劇として始まった新派は、けんじいが子どもの頃、母がテレビでよく「わあ、新派だわ、水谷八重子(初代、下)だわ。見なくちゃ」と言っていた。

 

 

 庶民の哀歓、情緒を情感豊かに描いた演目が多いので、明治時代には「新派」でも、母が見ていた当時は、すでに古めかしかった印象が子供心に残っている。

 

 

 常設展では、日本や世界の演劇の歴史が展示されていた。これで入場無料。国立大学でもないのにさすがは天下の早稲田大学だ。スポーツミュージアムも行きたかったが、次回の楽しみとした。