4月13日(土)三陸鉄道開業40周年記念式典へ日頃作業に携わる社員を代表して参加させて頂きました。
普段業務で接する三陸鉄道の皆さんが駐車場案内や入り口受付で丁寧に対応されている様子をみるだけで何だかグッと来るものがあります。
席次表を拝見し、私がこの場にいて良いものかと考えてしまうほど錚々たるメンバーで驚きました。
来賓祝辞は鈴木俊一財務大臣でした。
山口太鼓の皆さんによるオープニングアトラクション
いつも釜石が誇る桜舞太鼓しか見たことのない私にとって山口太鼓の演奏はそれは新鮮でお腹に太鼓の振動を感じながら、式次第の裏にある三陸鉄道年表を眺めました。
北海道の建設会社から家業である青紀土木に入社したのが2001年4月、その翌年からご縁あった元請さんの下で三陸鉄道の仕事に携わるようになりました。
年表には「2003年5月26日 三陸南地震発生 南リアス線路盤、橋梁被災運転中止」と記してあります。
東日本大震災で社屋と共にデータが流失し当時の画像は有りませんが、平田駅から釜石駅の間にある市内大渡川を横断する橋梁の橋脚が被災しました。
橋脚を補修しなければ列車の運行が出来ません。
大渡川の両岸に杭を打ってロープを張り、船で川の中心にある橋脚の補修したことを思い出しました。
1本でも早く列車を運行させるために12時間交代2班24時間体制で対応しました。
夜が明けた頃、遠くから始発列車が走ってくる音と振動が伝わり、大きくなり、やがて頭上を越え、徐々に遠ざかりやがて振動も音も消えた時にホッとしたたこと、列車の運行のために自分たちが果たす役割の重さを感じたことを思い出しました。
「2009年7月20日 小石浜駅を恋し浜駅に改称」
改称に合わせ、あの駅舎まで長い階段を利用してアスファルト合材を運搬し作業した事を思い出しました。
「2011年3月11日 東日本大震災発生 地震、津波で大きな被害が発生し全線運転不能になる」
・3月16日 北リアス線陸中野田-久慈間運転再開
・3月20日 北リアス線宮古-田老間運転再開
・3月29日 北リアス線田老-小本間運転再開
「2014年 4月5日 南リアス線全線運行再開」
「2014年 4月6日 北リアス線全線運行再開で全線復旧」
「2019年3月23日 山田線 宮古-釜石間、JR東日本より三陸鉄道に移管、盛-釜石-宮古-久慈間163kmが三陸鉄道リアス線となる」
三陸鉄道に移管する前の釜石-大槌間などを主にユニオン建設様の協力会社として作業させて頂きました。
被災したレールの撤去
鵜住居駅周辺画像
鵜住居駅
「2019年10月12日 台風19号の影響により、リアス線163kmのうち約7割が不通になる」
線路内に流入した土砂の撤去や流入防止設備新設など、3月20日の開通予定日へ間に合うのか皆さんにはご心配頂きました。
無事期日前に復旧完了
「2020年3月20日 リアス線全線復旧」
記されていること
記されていないこと
色々なことが頭を廻りました。
2006年そんな私達も三陸鉄道の仕事に携われなくなる危機がありました。
三陸鉄道の作業を受注する元請が倒産してしまいました。
鉄路を支える企業の倒産は在ってはならない安定した会社に作業を担ってもらうべきだと、三陸鉄道本社では地域で一番大きな会社に保守のお願いを考えました。
これは当然の事です。
設備部は「今まで対応してくれた会社があるのだから」と弊社を押してくれました。
そうこうしている時に暴風雨で沿線木が大量に倒れ、至急対応しなければいけない状況になりました。
土曜の夕方でした。
『明日は日曜日だけど対応出来ますか』と設備課長から連絡がありました。
『ハイ』と答え、いつでも対応出来るよう申し伝えていた社員達に連絡し日曜日朝、釜石駅前に20名集めて4班になって対応した事を思い出します。
「設備部長が諦めて地域で一番大きな会社に電話を掛けようとした時、本社から設備部がそんなに言うなら、緊急なので今回は今まで作業していた会社に作業させてみよう」と方向転換があった事
それがなければ青紀土木さんは作業に携わる事が無かったのですよと後から聞きました。
今は退社された元部長始め、皆さんに本当に感謝しています。
今もずっとその気持ちを持ち続けています。
取り巻く経営環境は決して明るいものではありませんが三陸鉄道社員の皆さんは仕事に誇りと責任感を持って業務にあたっています。
私達も現場を確認し計画段階から知恵を出し合いながら少しでも安く良い物を作る努力をしています。
これからも私たちは感謝の気持ちを込めて作業し続けたいと思いました。
開業40周年本当におめでとうございます!!
そしてありがとうございます。