「光」 は性質として半分が透過しながら、ガラスのむこうの物質を可視化するが、あとの半分は鏡よろしく室内に反射する。きょう2㎞のクロールを消化してプールサイドの大型窓をみると、そとの芝生のいちめんにプールがきらめく水を波うたせていた。すぎさりし日々の記憶がいまこの瞬間の情景のなかでなお生命をたもっているようにもみえたし、 「現在」 とはまさに過去と未来とのあいだにはさまれた1枚のガラス板... なつかしくもチープで浅薄な '80年代サウンドはぼくの視界でおなじ波紋をきらめかせているが、 「おもいで」 にあまえてはいけない。おりからCDがレコードにとってかわったのもこの時代で、ディジタル化されたという以上に音楽はヒットという規格゠鋳型からハンバーガーや罐詰の1個1個にちかい量産と劃一化とをしいられたのではないか? したがって先述の聖子ちゃんのアルバムもやはり4thアルバムまではレコード゠アナログ的で、そのさきはCDサウンドにかわったということかもしれない。
'70年の1stアルバムいらい猛毒ゾーンでビートをきざんできたファンカデリックも、ざんねんながら '80年代がちかづくとともに堕落... かえって皮肉なことにはヒットチャートを上昇しながら、ただのディスコミュージックになりさがる“Uncle Jam Wants You” はエディ・ヘイゼルが1曲だけ参加しているから、ぼくは参考までに中古CDを買ったという手にあまるヒット作で、こんなものは料理をするさいのBGMにでもするしかない... きょうもプールのあとで、じっさいにパスタをつくりながら聴いた。つねにストックしてある料理用の赤ワインと白ワインとを交互になめながらパスタをつくるのは習慣といってもよいし、かりにワインがなかったら料理もたのしいかどうか? まてよ... やすいワインとおなじくらいファンカデリックのこの駄盤も、いまでは体内にながしこむのが習慣になってやしないか!? まっこうからオーディオとむきあって、ラムやバーボンでのどを灼きながら聴く初期の傑作よりもはるかにヘヴィロテ状態になっていないか!? そこで気になることもあって、ひさしぶりにシューベルトの交響曲「グレイト」 die große をクナッパーツブッシュが指揮するウィーン・フィルのライヴ(1957年)で聴いてみた。ぼくの生活にはいつでも音楽がある。ありふれたこの生活には、アルコールと音楽とがある。
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「ジャン・パウルの4巻の大長篇にもおとらず天国のように長い」 この交響曲のスコアの発見者シューマンのいわゆるながさは──たんに物理的なものではなく、むしろ心理的なそれを示唆しているようにおもわれるが、 「冗長」 という形容にかえたいくらいなこの曲のながさは──ひとえにどの楽章もあきれるくらい反復がおおいということにつきる: 「これは聖痴愚の、だが究極の真実に到達した聖痴愚の音楽であり、無限とは繰り返しによってしか表現できないことを言っている」 ぼくが日ごろ警抜な著書でなじんでいる音楽評論家の許光俊の文章がそこいらの要諦をつたえているようにおもわれるし、 『クラシックCD名盤バトル』 という同書(共著)の鈴木淳史の文章もわかりやすくこれに補筆してくれる。
最初聞いたときはえらくかったるい曲だと思った。長くって、繰り返しが多くって、ブルックナーっぽいけど、アホみたいに楽天的でなんかムカつく…(中略)…ある日、ヴァントの演奏を耳にし、突如として目が覚めたのだった。おっかさん、これ、まさに宇宙ぜよ。部分と全体の関係性が、スコアなんて見てないのに、細かいところは何もわからないのに、すべてが実感として伝わってくる。こんなふうに文章にするとメチャ陳腐なことが、とてもリアルなものとして眼前に到来する...
「おっかさん」 ざんねんながらこの曲でぼくはそんな詠歎をもらすような真理をさとったことがない。それはクラシック音楽の理解がたりないという以上に、ファンクやロックを知っているからではないか? わずか30年あまりの人生でシューベルトは800曲をのこした。まさに渾身の音楽マシンで、こんこんと楽想は湧泉して、つきるところがない... ぼくは800曲という数量から、はじめ短命の天才がぽんぽんとうみだす歯ぎれのよい小曲の山をイメージしたが、そんなものではなかった。シューベルトはまずしい友だちと同居するウィーンのボヘミアン生活者だった。ところでビーダーマイヤー時代の若者のたのしみは、プラーターあたりに点在する舞踏会の贅美をつくした幻想的なムーア様式、純ギリシア様式、ゴシック様式などのホールで夜な夜なレントラーやワルツをおどったり、ナンパしたり(されたり)することで、いわばディスコやクラブとかわりがない。ただしボヘミアンのまずしい若者たちは舞踏会にゆく金もないので、いまでいう宅飲みでさわぐしかないが、いまとちがってオーディオ機器もなく、さわぐためのBGMも自分で演奏して、かつ自分でつくらなければならない。シューベルトの800曲といっても、およそ半数はその手のダンス音楽だという。アーティスト兼DJで、つまり彼の作品に特徴としてみられる反復も、グルーヴだったのではないか? みんなで夜どおし演奏して、さわいで、ピアノやヴァイオリンで主題がリピートされるたびに昂揚してゆく...
ただし現代のわれわれが、おなじシューベルトの反復でハイになるかどうかは、おゝいに疑問ではないか? 「うしなわれたグルーヴ」 ということばがクナッパーツブッシュ゠ウィーン・フィルの演奏で交響曲を聴く50分間にぼくの想念をくらげのようにおよいでいた。そこで先述のファンカデリック “Uncle Jam” にもどる:ぼくはこのアルバムがすきでもないのに、きまって料理のBGMにしているので、やすいワインの味とともに肌になじんでいる。まさに現代の生きたグルーヴ──ことにYouTubeからひいた上掲の “(Not Just) Knee Deep” は15分におよぶ大曲だが、たとえ1日じゅうでもこの曲がながれているかぎりキチンでぼくも腰をグラインドしつゞけていられるだろうし、やすっぽいイントロ+おむつギタリスト(ゲイリィ・シャイダー)の熱唱をひとたび耳にするだけでSONYやマクセルのカセットテープのCM映像とともに──ぬけるような青空の '80年代がふたゝび幕をあけそうな気もする。そんなファンクビートにひたりながら、きょうもプールのあとで、パスタソースづくりにいそしんだ。
さて食後はちょっくら外出した。レモンハート・デメララという極上のラムの売れのこりが東京駅八重洲地下街にあることを、ゆうべドギヰ氏からおしえていたゞいて、いざ鎌倉とばかりに永田町から自転車でかけつけた。なき祖父のはなしによると、わが家の開闢は頼朝麾下の猪俣党:もとは暴走族よろしく駻馬にまたがって暴虐をきわめた坂東武者で、はれて平家討伐のあかつきに鎌倉幕府から野毛山あたりの領土を封じられたが、したゝか領内で暴政をしいたあげく家臣から毒殺されたという... せっかく帝大をでたのに酒税官として赴任した満洲で馬賊まがいの生活をおくった祖父にもあるいは開祖の血はたぎっていたかもしれず、くるおしくダークラムのひとしずくをもとめてチャリで宮門(みかど)の外苑をひたはしるぼくの体内にもまた猪俣党の悪胤はうけつがれているのではないか?
ともあれサントリーが取扱をやめたので、レモンハート・デメララは日本からきえた。それでも売れのこりがないかリカーショップをしらみつぶしにあたった数週間後のまだドギヰ氏からの朗報もとゞかぬ先週末に、すがるおもいで某百貨店の食品街をさまよっていると、ご家族とみられる女性といっしょの忽那汐里さんとすれちがった。まぼろしの美酒をさがしつゝも、やたらと他人の顔は気になる性分で、すれちがう98%のひとはぼくの視界をのがれることはできないくらいだといってもよい:ことに女性のばあい美人、かわいい、 「可もなく不可少々」 などと顔をいちいち採点しながら、それらは刻一刻と忘却にさらわれてゆく... もちろん忽那さんのこともぼくは凝視した。ただTVでみて魅力的だとおもったことはなかったし、 「女優」 「注目株」 という2つのキイワードによる画像検索をあとから本人特定のためにかけるまで忽那汐里という名まえも知らないくらいだった。
ぼくは凝視した。むこうもこちらを凝視したが、ことによると変質者とおもったか自分をストークする偏執的なやばいファンだとおもったか? みると彼女は帽子をかぶっていた。おしゃれなものではない。いわば赤ずきんちゃんのおばあさんがかぶるような形状のたんに顔をかくす機能しか彼女がそれにもとめていないはずの帽子だった。したがって彼女は顔の70%をその帽子がつくる影のなかにかくしていたといえる... それでも美はまわりから超然としていた。あまりにも美だった。なかんずく彼女はぼくになにかを認識して、おゝきく眼をみひらいたが、 「一瞬」 という不可視の時間がそのとき波型をかえながら、ゆっくりと白鳥のつばさをひろげるのが幻視された。すれちがうのもまさに一瞬だった。ただしその一瞬後のぼくの視界は、くらやみだった。ぼくの意識は彼女がみひらいた両眼の一瞬という時空にすいこまれて消滅していた。ほかの女性が眼にはいろうはずもない。ぼくはいつしか無人の百貨店をあゆんでいた。すくなくともあの一瞬のなかで、ぼくの細胞のいくぶんかは異次元の永遠を組成すべくアポトーシスをとげたといえないだろうか? みひらかれた彼女の眼は遊星だった。くらやみのなかで無言のまま遊星はぼくの視界にとゞまるでもなく、きえさるでもなく、うごきながらもそこに存在しつゞける... ありふれた音楽も生活も街もきえていた。そして消滅したいっさいを哀悼するために闇黒からきこえてきたのは、いみじくもシェーンベルクが調性゠音楽とのわかれをつげるために作曲した弦楽四重奏曲第2番の終楽章でうたうシュテファン・ゲオルゲの詩句: 「ちがう遊星からの大気を、わたしは感じる... 」
めでたく東京駅でゲットしたレモンハート・デメララのボトルは、ぼくにとって濃密なあの意識と意識との抱擁とよんでもよい一瞬の液状化にみたされているようにおもわれた。もっと黒いものがほしい。もっと黒くて濃密で甘美なものが... なにかを夢みるように有楽町にぬけて、いつしか東京タワーを横眼にみながら、めったに足をはこばぬ恵比寿や代官山をめぐっていた。よもや松本隆先生があるいていらっしゃらないかとおもいながら、はじめて眼にする蔦屋書店のおしゃれぶりに舌をまいて、さいごはイータリーでパスタやロマーノ゠チーズやチョコレート(上掲写真)を物色したあとに、マロンのクリームやはちみつも買いこんだ。それらをくだんのレモンハート・デメララやバカルディ(後方)とならべると、ふたゝびシェーンベルクの弦楽四重奏曲とともに、ゲオルゲの詩句がきこえてきそうな眩惑にさらわれる... あゝ甘美なる休日
✍追記:ぼくが松本隆先生の風街エリアで休日をたんのうしているころに、わが国で松田聖子ファンの四天王にかぞえられるだろうM氏はなにをしていたか? 「松田聖子邸(本物)の前にて 【※通報しないでください】 フローレスセイコにて直筆サイン入手の後、そのお礼も兼ねて久々に聖子ちゃん家を訪れました。防犯カメラに向かって手を振った後、家の前で手を合わせ 「家族の健康」 (←マジ)を祈りました」 というコメントつきでfacebookに投稿された同氏の雄姿がおどる画像を、できることならここにもアップしたいくらい休日のその有意義なすごしかたに感動させられた。ディナーショウでもM氏は聴きたい曲を遠慮なく聖子ちゃんにおねだりするというし、なんと定宿にしている大阪プリンスの部屋の窓ごしに彼女から手もふってもらえるらしい。やっぱりファンはそこまで徹底しなければいけない... ところで忽那汐里さんをあれからCMなどで眼にしても、とくに魅せられることもない。あの一瞬゠永遠は異界のなかで存在しつゞけて、いまいるぼくは異界のぼくからみても他人にすぎないらしい。