Good Nite Eddie | 海豚座紀行

海豚座紀行

──幻視海☤星座──

Amebaはどんな検索語でブログにたどりついたか確認できるが、 「エディ・ヘイゼル」 という人名の検索から拙文に眼をとおしていただいた履歴をみつけたときはうれしい。おそらく大人数から興味をもたれることがないにせよ、だれか1人でもネットの海原からそれらをみつけだして、ほくそえむ記事をつゞりたい。まことブログも宇宙のどこかの生命体がキャッチするかもしれない可能性のために発信された電波のようなものだろうから...





ぼくは第一印象できょうれつな嫌悪感をおぼえたものに、あとからきょうれつに呪縛されるという歪曲した性癖をもっている:サド侯爵の長篇を中学生のときにはじめて読んで、あまりにも悽惨なシーンの連続──はらわたや鮮血や糞便がまきちらされる作中のその性愛の魔宴を夕飯のときにおもいだして、嘔吐しかけたこともたびたび──しかし世界にあまねく<悪>を敷衍させようという熱狂的な意志は、キリスト教と拮抗・融合した善悪の彼岸に普遍の地平をかいまみたいという欲望のあらわれだろうということは中学生にもわかったし、 『老子』 の思想にもつうじるような気がして、ともあれサドはいまだにその熱狂性でぼくを呪縛している。

昨年の春にうまれてはじめて神保町であじわったラーメン二郎もしかり: 「こんな豚のえさ2度と食うか!!」 というのが店をでた直後の(グルメを自負する)ぼくの感慨というか忿怒゠拒否反応だが、どういうわけか数日後に 「また食べてもいいかな... 」 という二心がめばえて、いまではやはり呪縛されている。アルコールもしかり:こどものころ父親からグラスの琥珀色をなめさせられて、拒絶反応におそわれた体験はおおぜいの共有するものだろうが、ぼくとて自分がまさか夜ごとバーボンやウォツカの原液をなめて興がる癈人になりさがるとは想像だにしなかった。


If you will suck my soul, I will lick your funky emotions...



「おれのsoulをべろべろするってんなら、おれもあんたのファンキィなemotionsをなめまわすさストーンズ(超テキトーな和訳あせるエディ・ヘイゼルがジミ・ヘンを夢みてフェンダーを咆吼させたファンカデリックというバンドも、ぼくは呪縛されるまえにまず嫌悪したストーンズ“Do Me Baby” というエロティックなバラッドでプリンスにとりつかれた中1のぼくは、ファンクの源流をたどるべくジョージ・クリントンと邂逅したが、「やっぱ1stアルバムから聴くもんだろ」 とおもったのが運のつきYouTubeYouTubeからリンクした上掲の “Mommy, What's a Funkadelic?” がながれはじめて、たとえようもない不快感におそわれた。

なんともふざけたアルバムのジャケットではないか? ここですでに嫌悪感をそゝられるのは、ぼくだけではあるまい。さらにレコードに針をおとすとレコード手あのころはね)まずジョージ・クリントンの口をくちゃくちゃとさせる下品な音が──そだちがよいご令嬢なら “クチャラー” とよんで厭離するだろうが、 「おれのsoulをべろべろするってんなら... 」 と口のその粘着音にまけずおとらず下劣な声がさらに地霊のうなりをあげる。そして破滅をつげる重量級のベース&ドラムス──


海豚座紀行-テキーラ



あのころの嫌悪はべつとして、いまではこのベース&ドラムスに一發でやられてしまう: 「おれのsoul をべろべろするってんなら... 」 といって死刑執行当日まで悔悛しなかった黒人兇悪犯(゠クチャラー)が絞首台でこときれる瞬間... くだんのベース&ドラムスはその死刑囚のしかばねの重量のごとく聴き手の双肩にのしかかってくる:さきにのべたとおりで、ぼくはきまってバーボンなどをストレートですゝりながらファンカデリックを聴くが、おもくるしいベース&ドラムスを耳にしたとたんに、こんやもずぶずぶと酩酊の泥沼にしずんでゆくしかない宿命にのしかゝられる... きょうはエディのギターについて書こうとおもいつゝも、このアルバムでより怪物的なのはビリィ・ネルソンのベースとティキ・フルウッドのドラムスだとみとめざるをえない。レッチリなどはライヴでよくファンカデリックをコピイしていたが、ぜんぜんイケてない:ホワイティにしろジャップにしろ、こんなふうに演奏することはできない。

・イントロの何かを口でくちゃくちゃと噛む音で嫌な倦怠感がまずやってくる。そして、ゆったりとした粘っこい混沌としたブラックなサウンドが展開されていく。何とも挑戦的で挑発的なファーストアルバム。

・プリンスをはじめ数多の子孫・係累が誕生していった、まさに始祖鳥の1枚。そして60、70年代のロックを聴く者にとって避けて通ることは許されない関所の1枚。暗黒大陸からの音のカオスを味わい知るべし。

・最高の最高。妖し~い。ロックというショウビズ世界にファンカという毒の花を咲かせた悪徳(?)大魔王クリントンの頭脳、やはり只者ではない。


アマゾン2amazonHMVHMVからレヴューをかってにコピペさせてもらったが、おかげで手間もはぶけるというもの... かりにこれがアルコールだというなら、ひとを悪酔いさせる劣悪なバーボンだし、これがダンス・ミュージックだというなら、スラム以下のまさに冥府魔道のディスコでながれるのにふさわしいナンバーではないか? そこで亡者たちはファンク・ビートに腰をグラインドさせつゝも、ずぶずぶと地獄の穢土にしずみこんでゆく。ここにひびくのは “毒” を皿にもった黒人のわらい゠ブラック・ジョークというやつで、しいたげられた民族の怨念がわらいの通奏低音としてベース&ドラムスからきこえてくる。さらにいうなら “グルーヴ” ということばがこれくらい観念的にしっくりとくるアルバムもない。


海豚座紀行-バーボン



このアルバムを中1のぼくがきらったのも、むべなるかな。アルコールのにおいをかぐのもいやな少年がいきなりスラムのバーになげこまれたようなものだし、せまい店内は黒人でごったがえして、ジャップの少年はおしあいへしあいされながら、むせかえる体臭やマリファナのにおいに嘔吐しそうになるが、むりやり口からはバーボンやテキーラをながしこまれて、ぐるぐると視界がまわる苦悶のはてに昏倒... めざめると、そこにはだれもいない:ゆうべバーがあったところは廃墟のような倉庫で、われた窓ガラスからさしこむ白濁した陽ざしに、ちりやほこりが蛆虫のごとく蝟集して輪舞するのを、ぼうぜんとしたまゝ少年はみあげるばかり...

ザ・パーラメンツというニュージャージーのしがないドゥワップグループで1954年から歌手活動をつづけてきた18歳のジョージ・クリントンがアルバイトする理髪店には、おなじ黒人のこどもたちがあつまっていた。とりわけ7歳のビリィ・ネルソンはクリントンになつくあまり店の掃除をてつだったり、カット中の客のまえで歌をうたったりして、のちにクリントンのバックバンドもつとめるようになる。ビリィはバンドをファンカデリックと名づけると、おさななじみのエディ・ヘイゼルもセッションにひきいれた。ジミ・ヘンドリクスにあこがれるエディは自身もギターの天才で、レコードデビューがきまったバンドはそのギタープレイをもとにファンクを展開してゆく。


『マゴット・ブレイン』 という拙作からの抜粋: 「せまい店内は黒人でごったがえして... 」 うんぬんの前文もじつはもともと本作にくみこまれていたが、いわゆる作品の統一感という観点から泣く泣く削除したしだいで(なぜなら本作はファンカデリックをえがいたものではなく、ぼくの自伝的短篇だから)、けずられた怨念もこもる文章といえるかもしれない... ともあれ役者がおおすぎるというか、エディのことを書こうとすると、またぞろバンドのほかのメンバーたちが自己主張しはじめて、ぼくの筆を攪乱する。

ジョージ・クリントンは要するに床屋にすぎない。たいして歌がうまいわけでもないし、みずからは演奏も作曲もできない。ただ床屋にあつまってきたビリィ・ネルソン、エディ・ヘイゼル、バーニー・ウォレルWikipediaには4歳で初コンサート、8歳でピアノ協奏曲を作曲、10歳でワシントン交響楽団と共演などウォレル少年の神童ぶりが詳述されている)といった弟分、のちに傘下におさまるブーツィ・コリンズやメイシオ・パーカー、ぼくのアメンバーにも(その夫人が)なっていただいているブラックバード・マクナイトなど配下がことごとく天才・怪物ばかりで、かれらにかつがれて驀進するうちに床屋のジョージはジェイムズ・ブラウンから帝位を継承するブラック・ミュージックの頂点にのぼりつめていた。しかもエディなど弟分がドラッグの濫用でつぎつぎに若死したあとも、それ以上ドラッグを吸引していた(にちがいない)床屋のジョージはこんにち70歳をこえてなお強健をほこっている。けだし前漢を開闢した劉邦のごとき巨人なり。


$海豚座紀行-エディ・ヘイゼル
Ed Hazel from “Axiom Funk”


こうなったら徹底的にどうでもよいことばかり書くが、わが国ではつとにジョージ・クリントンをいかりや長介、ブーツィ・コリンズを志村けん、バーニー・ウォレルを加藤茶、エディ・ヘイゼルを荒井注にみたてるむきがあるが、 『ファンクだよ全員集合!!』 という邦題アルバムをじっさいにディスクユニオンでみつけて、おどろきあきれたことがある。さすがにそれは買わなかったが、このまえヤフオクで “Axiom Funk” を落札して、エディが参加した作品はほぼ入手した。 ただしこれはビル・ラズウェルという量産プロデューサーによるコンピレイションで、ぼくは聴くまえから内容に期待していなかった。エディはこれが制作されるまえの1992年12月23日に42歳で逝去している(どうでもいいけど、その数日後にぼくの小説が初出版された)。ここで生前の音源がつかわれたのは3曲で、ひとつはギターがサンプリングされただけの凡作。たんなるサンプリングでもブーツィ・コリンズの “Blasters of the Univers” の1曲にきかれるギターはすばらしいもので、この1曲のために買ったって損はない。ちなみにブーツィのこの 1994年発売のCDには “Good Nite Eddie” という哀悼歌も収録されている。ようやく本記事のタイトルの由来にたどりついたが、きょうはここまでジャンボマックスまた来週白鳥、志村