*本城のNIPPON歩き*~宮島・厳島神社 8~ | ● ヤバイゼ NIPPON!! ●

*本城のNIPPON歩き*~宮島・厳島神社 8~

私は、ガイドブックや世界遺産の写真集などで見た、厳島神社の景観に憧れを抱いていただけだった。


「そこへ行ったら、どう感じるだろう」とか「どのような歴史があるのだろう」とか……。


そのようなことは考えずに、「ただ見たい」だけの意識しかなかった。


厳島神社で、この身で感じたあの神秘的ともいえる独特の空気は、やはり、日常、私達が感じることがないものであったのは、紛れもない事実。


とはいえ、昔から見て憧れたいた厳島神社を見ることが出来たことは大満足。


私と同じように思っている知人・友人に自慢したいくらい。


ただ……やはり、否めない事実として、“その地”へ足を踏み入れた私自身に、新たな感情が芽生えていたのだった。



「見たい」ではなく、「感じたい」



新幹線の中で、後悔にも似た気持ちに支配されていたのは、この部分であったことが、はっきりと認識出来ていたのだった。


私にとっては、あまりに強烈すぎたから。


「見る」だけであったなら、“そこ”へ行けば、見ることが出来る。


しかし、「感じる」為には、やはり、その場所の様々な歴史などを知らなくては、“真の意味”で「感じる」ことは出来ないのではないだろうかと、私なりに思っていた。


私自身の主観のなにものでもなく、自己満足に過ぎないことかもしれないけれど、いつかまた、宮島……厳島神社へ出向く時の為に、「知っておかなければならない!」という感情。


更には、義務的ではなく、気持ちは「知りたい」という感情へ移行して行くのも、はっきりと感じていた


あの空気に包まれるだけではなく、感じるために……。


しっかり受け止めることが出来るように。



出張から戻っても東京での仕事は日常とは変わりはなかったが、その中に、「宮島・厳島神社」という課題が追加された。


そして、私自身の中にも変化が起こっていた。


その時は、漠然としたものではあったけれど、確かな変化。


「感じる」


物を見て「綺麗」とか「素敵」などと感じる感覚とは、また別の感覚。


空気……たぶん、“第六感”という部分で感じることの意味を実体験したことによるものであったと思う。



「知識を携えて」ということは、再び、そこを訪れる時の為に私自身が私自身に課したことではある。


しかし、何の深い知識もなく感じることが出来た“もの”は、この先も私の中で重要な一部分となることは間違えようのない事実として残っている。



>>つづく




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管理人:ケネヂのつぶやき






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