事件内容を細かく書類化する。
これが中々はかどらない。
人間の記憶というのはよほど重要な事で無い限り曖昧だからだ。
突然一週間前の食事のメニューと時間を言え!と言われて覚えてる人が居るだろうか?
もし犯罪を自覚しつつの行動なら記憶は鮮明だろう。
しかし犯罪では無い場合は本当にわからない場合が多いのだ。
犯罪の自供の供述内容が2転3転する理由でもある。
大半の場合は嘘の供述を指摘されて供述を翻す為に起こる。
問題はその嘘だ。自分の保身の為の嘘なので曖昧な点が多くすぐばれる。
他人がその流れを見た場合、その人間の信用度が下がるのだ。
だがここまでこのブログを見て来た人、つまり冤罪に関心がある人なら一つだけ気になる点が出てくるはず。
自供内容が警察側に予め作られたストーリーだったら?
そう。自分が早く出たい為に妥協して捺印した調書も曖昧な点が多くなるのだ。
それはそうだろう。
事実とは異なる調書なのだから。
しかしこれが自分自身の信用を大きく落とし結果的には破滅をもたらす事になりかねない。
なんせ犯罪者なのだから。
犯罪者という烙印は強力だ。
犯罪の名前も強力な印象を植え付けるだろう。
例えば恐喝。
受けた印象は暴力的、もしくは非道、とにかく良いイメージは無いだろう。
脅迫。
これも良いイメージは皆無である。
しかし、これらの定義は結構曖昧な部分も多いのだ。
詳しくは判例集を見ればわかるので省かせていただきます。
ここで少しネタバレになります。
私自身はどういう前科を持ってるか?
恐喝である。
良いイメージは無いでしょう。
しかし胸をはって言い訳をさせていただきます。
私は相手にお金をあげたのである。
意味がわかりますか?
少し細かくいうと、私は恐喝されたという被害者の知人だった。
そしてその被害者が言い掛かりを付けられ可哀想だと思ったので身銭を切って被害者にお金を渡し言い掛かりを回避しろと言ったのである。
で、結果的に恐喝である。
ちなみに金額は10万を越える金額を被害者にあげた。
どこが恐喝なのでしょうね。
そしてそのお金を渡したという内容は一応調書に記載されているのです。(これだけはさすがに譲れなかった)
しかし判決は当然覆る事はありませんでした。
何故そこだけを調書に記載して貰ったのか?
それは裁判官や裁判の関係者に対する極わずかな希望を持っていたからだ。
もしこれが普通の一般人同士の飲み会での話題で、「知人にお金をやったんだ」という話をした場合、恐喝になるという発想をする人間は居るだろうか?
当然居ないだろう。
だから私はその一点の事実だけは調書に書き留めて貰ったのだ。
しかし裁判官や検察は当たり前のようにスルーした。
だから私はもはや裁判官や検察官、そして警察。誰も信用しないし信用に値しない職種だと思っている。
自分達の保身のみで偽善を振りかざし社会的な地位を利用したがる人間としか思わない。
小さい時から嘘付きは泥棒の始まりだと親に教わり人を信用して自分が手助け出来る事はやってきた。
ボランティアで施設を周り人と触れあい人助けを苦に思わなかった。
結果が犯罪者だ。
正直このブログを書きはじめてまたおかしくなりはじめた。
事実をねじ曲げられ真実とは何かを繰り返し葛藤し妥協し頭の中で色々な自分が色々な事を叫び出す。
そして僕は何も考えたくなくなった。
考えたら繰り返し繰り返し脳裏に浮かび上がる記憶。そして破壊的衝動。それを押さえつける為の自分の理性。
だから少しでも吐き出さないと僕は壊れてしまいそうになる。
そして回避出来るかはわからないけど今後同じように無実の罪で捕まった人が同じように精神的におかしくならないように少しでも。少しでもそういう冤罪に対する耐性?
なんと表現したらわからないけどとにかく苦しまないように。
しょうがないと諦めがつきますように。
自らを壊さないようにしてもらう為にもう少しの間、記憶を書き留めていきます。
何か今日のブログは支離滅裂?ですね。
すみません。
これが中々はかどらない。
人間の記憶というのはよほど重要な事で無い限り曖昧だからだ。
突然一週間前の食事のメニューと時間を言え!と言われて覚えてる人が居るだろうか?
もし犯罪を自覚しつつの行動なら記憶は鮮明だろう。
しかし犯罪では無い場合は本当にわからない場合が多いのだ。
犯罪の自供の供述内容が2転3転する理由でもある。
大半の場合は嘘の供述を指摘されて供述を翻す為に起こる。
問題はその嘘だ。自分の保身の為の嘘なので曖昧な点が多くすぐばれる。
他人がその流れを見た場合、その人間の信用度が下がるのだ。
だがここまでこのブログを見て来た人、つまり冤罪に関心がある人なら一つだけ気になる点が出てくるはず。
自供内容が警察側に予め作られたストーリーだったら?
そう。自分が早く出たい為に妥協して捺印した調書も曖昧な点が多くなるのだ。
それはそうだろう。
事実とは異なる調書なのだから。
しかしこれが自分自身の信用を大きく落とし結果的には破滅をもたらす事になりかねない。
なんせ犯罪者なのだから。
犯罪者という烙印は強力だ。
犯罪の名前も強力な印象を植え付けるだろう。
例えば恐喝。
受けた印象は暴力的、もしくは非道、とにかく良いイメージは無いだろう。
脅迫。
これも良いイメージは皆無である。
しかし、これらの定義は結構曖昧な部分も多いのだ。
詳しくは判例集を見ればわかるので省かせていただきます。
ここで少しネタバレになります。
私自身はどういう前科を持ってるか?
恐喝である。
良いイメージは無いでしょう。
しかし胸をはって言い訳をさせていただきます。
私は相手にお金をあげたのである。
意味がわかりますか?
少し細かくいうと、私は恐喝されたという被害者の知人だった。
そしてその被害者が言い掛かりを付けられ可哀想だと思ったので身銭を切って被害者にお金を渡し言い掛かりを回避しろと言ったのである。
で、結果的に恐喝である。
ちなみに金額は10万を越える金額を被害者にあげた。
どこが恐喝なのでしょうね。
そしてそのお金を渡したという内容は一応調書に記載されているのです。(これだけはさすがに譲れなかった)
しかし判決は当然覆る事はありませんでした。
何故そこだけを調書に記載して貰ったのか?
それは裁判官や裁判の関係者に対する極わずかな希望を持っていたからだ。
もしこれが普通の一般人同士の飲み会での話題で、「知人にお金をやったんだ」という話をした場合、恐喝になるという発想をする人間は居るだろうか?
当然居ないだろう。
だから私はその一点の事実だけは調書に書き留めて貰ったのだ。
しかし裁判官や検察は当たり前のようにスルーした。
だから私はもはや裁判官や検察官、そして警察。誰も信用しないし信用に値しない職種だと思っている。
自分達の保身のみで偽善を振りかざし社会的な地位を利用したがる人間としか思わない。
小さい時から嘘付きは泥棒の始まりだと親に教わり人を信用して自分が手助け出来る事はやってきた。
ボランティアで施設を周り人と触れあい人助けを苦に思わなかった。
結果が犯罪者だ。
正直このブログを書きはじめてまたおかしくなりはじめた。
事実をねじ曲げられ真実とは何かを繰り返し葛藤し妥協し頭の中で色々な自分が色々な事を叫び出す。
そして僕は何も考えたくなくなった。
考えたら繰り返し繰り返し脳裏に浮かび上がる記憶。そして破壊的衝動。それを押さえつける為の自分の理性。
だから少しでも吐き出さないと僕は壊れてしまいそうになる。
そして回避出来るかはわからないけど今後同じように無実の罪で捕まった人が同じように精神的におかしくならないように少しでも。少しでもそういう冤罪に対する耐性?
なんと表現したらわからないけどとにかく苦しまないように。
しょうがないと諦めがつきますように。
自らを壊さないようにしてもらう為にもう少しの間、記憶を書き留めていきます。
何か今日のブログは支離滅裂?ですね。
すみません。