どうも、けんちくんだよ。
この世で最も憂鬱な1ヶ月こと、2月くんがやって来ましたね❤︎
早く、あと残す4回の2月、27回目の2月に来て欲しい。そうしたら私はこの犬も食わない世界から解脱出来る。実際問題、犬も食わないのは世界ではなくけんちくんなんだけど^_^まぁもう許してくれよ、こんな人間に憎悪を向けないでくれ。ある日突然狂ってしまいそうだから。
よく、「こんなに死にたいのに身体は栄養素を求めていて面白い」とか「笑える」みたいな文章を見かけるけど、私はそっち側ではなくて、単に醜いとしか思えない。死にたい癖して、精神体が身体すらもコントロール出来ない事実がただただ気持ち悪い。何も出来ねぇじゃねぇか。お前は何が出来るんだ。
世の中には精神があって身体があると考える人間と、身体があって精神があると考える人間がいるけれども、私の場合は完全に前者であって、精神によって身体は統制されなければならない、と全体主義的思想を細胞に押し付けているわけであるが、強固な全体主義を持ってしても統制しきれない生物としての生存本能が、極めて憎たらしい。その思想の強さで細胞ではなく周りをいつか殺してしまう気がする。
2月は誕生月な訳だけど、この月を楽しく過ごしたのはいつまでだっただろうか。恐ろしいもので、こういう時に周囲との日頃の信頼度とか存在感、立場を意識させられる。これを読んでくれているそこのお前は、周りにどんな形であれ、祝って貰える人間だろうか?そうであることを願っています。
この月はいつも、何故こういう望まれなかった私という概念がこの世に存在しているのか、を反芻して、いつも納得のいく答えを出せずに日々に忙殺されてしまうわけであるが、この問いから逃れられるのはいつだろうか。ただ、一つだけ言えるのは、けんちくんと心中してくれる女をずっと探している。希望を簡単に背負ってしまう私と一緒に希望と絶望の輪廻を観測して欲しい。単に怖いんだよ。
抑うつリアリズムなんて笑える言葉があるけれども、抑うつ状態の人間の方が正常な人間に比べて、悲観的かつ現実的な推論を行うという仮説が本当なら、この世は俺以上にクソだ。社内のおっさんや色んな奴に、"君は超がつく程のリアリストだよ"って言われてるけれども、即ちそれは抑うつリアリズム仮説の立証を既に行えているのでは無いだろうか。俺を被験体にしていいから、抑うつリアリストの皆さんを救ってやってくれ。鳥と卵の話になるが、リアリストだから鬱なのか、鬱だからリアリストなのか、どっちが先なんだろうか。早く誰か教えてくれ。
なんだかんだ最近は世間一般でうまくいっているとされる人間が1番苦しいんじゃないかと思っている。た〇かなくんが言っていた、「本当の弱者は救いたい形をしていない」という論も極めて体系的に本質を捉えていると思うんだけど、それと同じくらい救いの手が回らない層が前述の世間一般でうまくいっているとされる層な気がしている。「悩んでいる様子はありませんでした」だとか「自殺するような性格じゃなかった」だとかセンスのない周囲によるコメントがたまに目に付くけれども、こういう人間がいつまで経っても減らないのは、そういうことだ。「お前は満たされている」「お前は恵まれている」「他にもっと苦しんでいる人がいる」それはそうだ。でも、周囲が判断できるのは所詮、物質的充足でしかなくて、精神的充足については勘案出来ないはずなのに、何故かわかったような顔をする奴が多すぎる。なぜお前たちはそんな顔が出来るんだ?しかしそういう奴らも物質至上主義の大きな連環に巻き込まれてしまった被害者なのであるから、仕方がない部分であるが、結局そういう思想を継承して行く奴が消えない限り、この流れは断ち切れないと思っている。やはり、けんちくんが魔法少女になるしかないのかな。ソウルジェムはすぐ濁りそうだけど、やっぱり最後は「あたしってほんと、バカ」って言いたいな。目指すはアルティメットけんち。
なんだかんだ何処かで幸せになれるかなと思ってこれまで生きてきたけど、もう現実が見えてきてしまった。さすがリアリスト。仲良い課長が多分人間の根本のところでけんちくんと似ていて、その人を見ていると自分の将来の姿を見ているようでやるせない気持ちになる。当人が幸せかどうかなんてのは知らないけど、けんちくんには彼が幸せな様にはどうしたって見えない。けんちくんに似ているだなんて思われているのは心底可哀想だけれど、抑うつリアリズムを持つ私の見え方が実態と大きく乖離しているようには思えないし、あながち間違っていないと思う。当人には絶対言えないけどね。だから、この組織に残っていたらきっとゴールはこの人になってしまう。憧れてはいないし、反骨精神も向上心もまだまだ潰えていないけれども、なんとなく、最終着地点が見えてしまっている。それが心底残念で、自分自身に対して悔しい。物質至上主義的な安定を捨てて、精神的な安寧を真に追求していくならば、多分この組織からは抜けると同時に、転換を契機に私自身が更に変わらなくてはならないんだろうと思う。
病みは自己陶酔だ、という論があるけれども得てして本質を明確に突いている。数字を持ってして評価されても、いくら周囲から賞賛されてもこの虚無感と孤独感からは逃れられない気がしてならない。結局のところ、自己陶酔の在り方や自己認知を改められない限り、病みという形での自己陶酔は終わらない。虚無感、孤独感から逃れられない。どこで誰となにをしていても纏わりついてくるこの情緒から逃れたい。逃れる為に何が出来るだろう。今の私には明確な意志を携えた上での死しか思いつかない。可能であるならば、不慮の事故のような、ある種の悲劇のヒロイン的価値観の範疇に収まる死が良い。そうしたら死後、可哀想な人、悲劇のヒロインとして崇め奉られるだろうから、それはそれで幸せなのかもしれない。
どこに行ってもなにをしても、評判が悪くなる。イケメン/ブス、仕事が出来る/出来ないとかそんな末端の話ではなくて人間的に異常者として扱われるのは何故だろうか。私を嘲る事が出来るほど、よく出来た人間ばかりなのだろうか。周囲の評判によって、一個人からの見え方も変わってしまうことが何より悲しい。嗚呼、この人も一個人の私ではなく、所詮世間の評判に意識が向いた人間なのかと。心底悲しくもあり、そんな人間に希望を見出していた自分自身が馬鹿馬鹿しい。元々居場所なんて何処にもなかっただけなのに、今更なにを言い出したんだろうか。
数年前、救われたくて駅前とかにいるゴチャゴチャ言ってる宗教系ババアに「今すぐ俺を救ってくれよ」「そんなモノで救えるなら救ってみろよ」って言ったら、それから駅前に現れなくなった。雑魚がよ。救いたいだとか簡単に述べるな。殺すぞ。俺すらも救えなかったら、お前にはなにも出来ねぇよ。くたばれカスが。
誰かを好きになるだとか愛だとか、そんなものが美しいとか、素敵だなんて感じられるのは、社会や市場の価値がそれなりにある人間だけで、価値のない弱者は弱者のまま、這い上がることは出来ない。そういう構造になっている。だからそんな感情を抱いたところで、微塵も私にとっては価値のない行為でしかない。"弱者男性"というワードを考えた人間にこの世のありとあらゆる賞賛を与えたい。人類が発明した物事の中で、近現代においてはトップクラスの発明に入り得ると思う。学生時代、ずっと考えていたけれど、やはり感情は人生において障害でしかない。これまで殺し続けていたのに、蘇らせた貴女や彼女が憎たらしくて仕方がない。せっかく殺していたのに、また殺さなきゃいけないじゃないか。早くありとあらゆる感情を排斥したい。誰かを愛したい、誰かに愛されたいだなんて、どれだけ自我を拡大させた驕りと到りなのだろうか。
そういう意味では、音楽や文学、あらゆる"楽"がつくものは、独りよがりな解釈をさせてくれて、孤独に存在してくれているから好きだ。社会は、世間は、独りよがりを、孤独を、虚無を、許してはくれないから。
私の魂の重さは何gで、灰は何gになるだろうか。
俺はまだ異常じゃない。まだ狂ってない。だから誰の助けも借りない。
で、俺はメンクリ行った方がいい?
ファッションガチ恋(22)