野村克也の組織論 | 批判・バッシング・炎上・苦情・誤解から守り、数値をファクトチェックする「オムニメディア」

野村克也の組織論

プロ野球、楽天の野村監督の「巨人軍論-組織とは、人間とは、伝統とは」(角川書店)を読んだ。

注目している監督であるが、マネジメントにも応用できるので最近読んでいる。野球はスポーツ新聞を毎日買ってチェックしていた高校3年生以来ほとんど見ていないが・・・・。


この本の内容は、「ID野球といわれるが、観察、分析、判断、決断、データ・情報と活用、思考と準備という頭を使うことに基本がある」ということが要旨。端的に言ってしまえば、それに尽きる。


特に、ここで常識を疑うような真実が述べられている。

「巨人V9のカギは、川上監督の采配にあるということ。川上監督の人間教育、ONさえも特別扱いしないなどの人のマネジメント、たゆまぬ競争環境づくり、つまり、競争を選手に強いたこと(森捕手は毎年有望捕手が入団し、それと競争させられる)、アメリカの戦法を学んだこと、・・・・・」。つまり、盟主として君臨できた理由は監督の采配に根源があったと。近代野球のスタイルはすべて「巨人が日本にもちこんだもの」と語る。


彼が自分の理論のベースは巨人の野球にあるそうだ。これは意外であろう・・・・あれほどメディアで批判していたわけだから。川上監督時代の巨人の野球に根源があるから、彼は評価をしていた、なのに、当時はなんておちぶれたのだ・・・という思いがあったからこそ、皮肉をいいたくなったのかとも推察される。


また、彼の言葉でふむふむと感じたのは以下の3つの言葉。

①「人間は結果よりもプロセスでつくられる」

ノルマ主義とか結果を求めすぎるとよくないのでは?という思いだ。資生堂がノルマ主義をやめたという。

最近仕事を通じてなんとなく、そうなんとなく感じ始めているていることである。そう思うのはノルマなどを持たない仕事を職業としているためだけではない(自分の仕事を「ラッキー」と思っていたこともあった)。


結果重視という言葉は基本的に好きではない、なぜなら私が芸術家を自称する人間だから・・・・・・ということは差し引いても、人の心理を圧迫するプレッシャーは効果的ではないのでは?あまりに人間的ではない。営業マシーンだとまではいわないが、現代の営業マンは人としての尊厳・扱いがされていないと思う。

そこで人が育つか?ある程度、裁量をまかせた場合はノルマ主義でもいい気がするが、ノルマを最重要視して、数字がすべての文化からは何が生まれるのだろうか?


短期的なノルマを課されたサラリーマンの話を聞くと、競争の土台が平等でない中、「かわいそう」と率直に思う。たとえば、担当するエリアが担当する商品を買ってくれる人がたまたまいたから良い成績、たまたまいなかったから悪い成績って感じで成績は運に左右される面が多いにあると思う。さらに、これは見落とされる側面であるが、ノルマなど結果で見るのは管理者としてはラクなんだろうなあと思わざるを得ない。人事評価はやはり面倒な手続き、いろいろと思考する必要があるので。


②「思考が人生を創る」

これはそのとおり。まだまだ僕は悩み抜いていないし、甘いよな~。


③「指導者は『人として生きる』ことを選手に徹底して教え込む必要がある。『人間はみな人生を生き抜く使命を有している』ことを説き。使命感を自覚させないといけない」

この言葉を聞いて少し安心した。自分には使命感を持っている人間だが(おこがましいけどね)、他人にこうしたことを伝えるのは「価値観の押し売りになるのでは?」と思っていた。こうしたことを他人に伝えてもいいわけだわさ。


と、彼の言葉をくどくど述べていたわけだが、最後に一言。「見限られた選手、くすぶった選手を再生させるための基本は情・・・」さらに、それで失敗したこともあるというのはなんとも彼らしい。ぼやきまくるおじさんの目に潜むやわらかな微笑みの裏にこういった情がある。