生まれて初めて海外に行ったのが、まだ10代だった、
1985年の夏休み。
カナダに滞在中でしたが、8月12日事故翌日のカナダの新聞の一面は、
JALと書かれた事故機が大きく掲載されていました。
とてもショックで胸が痛くなり・・・・・どんなに怖くて苦しくて、死が目前に近づいてくる時間を待つだけなんて・・・。
そこに自分や家族や大切な人がいたらって考えるだけでいたたまれなくなったのを覚えています。
御遺族の方々のお気持ちに、いくらお悔やみの言葉を並べても、何年たっても癒されることはなく、
深い傷は一生消えることはないでしょう。
8月12日の出来事は風化させてはいけないし、航空会社も、お客様全員が帰省や仕事、旅行に行き、笑顔で無事に帰って来られるように、
空の安全を第一に、経営問題もとりだたされていますが、私たちの安全を守って欲しいと思います。
マスコミも・・・
ボイスレコーダーのテープを今でも流す必要はあるのかな?
私は辛すぎて聞くことができません。