自作について ―20代後半の詩― ・その379 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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いつもありがとうございます、これからもよろしくお願いいたします。








   詩

 ゆっくりと
 育てて行きたい
 ゆったりと
 人々の心まで
 飛んで行けるように

 小さな小さな
 ぼくの詩よ
 沢山の人たちの
 心に染まって
 永遠の旅に出る
 その時

 新たな生命が
 芽生える




自分の詩について、自分の詩のあるべき姿について、書いています。
自分自身に語りかけるように、改めて確認するかのように、
青年は願いも込めて書いています。
今では信じられないことですが、この頃は毎日詩を書いていました。
詩はいつも、大学ノートにシャーペンで縦書きに書いていまして、
この書き方は今も変わらず続いています。
毎日書き続けている詩、いつの日か誰かに読んで貰えることを夢見て、
青年はせっせと書いていたのであります。
平成4年・1992年の4月に、書かれた詩です。

言葉を選び、一つの思いを心の中に描く。
どんなに小さくて目立たない詩であっても、そこには無限の世界が広がっています。
詩を書き始めた高校生の頃には、一つの詩を書くことで満足していました。
まだそれ以上先に広がる思いまでは、気付くことが出来なかったです。
それから、10年近い時間を経て気付いたこと。
やはり詩を書くだけではダメだと言う、確かな思いでありました。
ゆっくりと、育てて行きたい。
正直なありのままの、青年の思いです。

沢山の人たちの、心に染まって。
この頃には、同人誌に2つか3つくらい掛け持ちで入っていまして、
毎月のように詩を投稿していました。
今ではすっかり慣れましたけど、自分の書いた詩や文章が、
綺麗な活字となって出て来ますと、ちょっと照れくさい気持ちになったものです。
多分、もうすでにワープロを使っていまして、ちょっとした文章とかは、
殆どワープロで打ち込んでいたと思います。
でも新たに詩を作る時には、ノートにシャーペンでありました。
全てワープロと言うわけには、行きませんでした。
これはパソコンに変わった今も、全く変わっていないことです。

詩は自分以外の方の目に触れた瞬間、新たな生命を持つと言われています。
そのことを知って、青年はこのような詩を書いていたはずです。
新たな生命が芽生える、その一瞬のために。
少年から青年、さらにはおじさんへと姿は変わって来ましたが、
心の中の思いは全く変わっていません。
この詩の中に流れている思いを、ぼくはしっかりと持ち続けて行きまして、
さらに新たな生命を芽生えさせて行くつもりです。





こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。